高市政権の外国人政策強化
2025/10/23
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糖尿病に起因する感染症により2024年5月に利き腕である右腕の切断手術を受けた元プロ野球選手の佐野慈紀氏(56)。 現役時代は近鉄や中日で中継ぎ投手として活躍し、「1億円プレイヤー」にもなった。 退院後の現在は、加療はもちろんのこと、まずは体力を戻すことに専念し、左手で投げるシャドーピッチングも始めているという。 自身を「根っからの野球人」と呼ぶ佐野氏に直近の展望を聞いてみた。 ーー佐野さんといえば「ピッカリ投法」が有名ですが、左投げでの「ピッカリ投法」の復活を楽しみにしています。 佐野 MLBにジム・アボット(※)という隻腕の投手がいたんです。「ノーヒット・ノーラン」までやっている凄い投手なんですよ。(手術後に)最初に僕が思い出したのが彼のことなんです。その他にも練習して、右投げから左投げに転向した選手であるとか、スイッチピッチャー になった選手を何人も見てきているので、「僕にもできるんじゃないかな?」って思いましたね。まだまだ先にはなるとは思うんですが、お話(依頼)も頂いているので「ピッカリ投法」をやりたいですね。 ーーーーー ※ジム・アボット ジェームズ・アンソニー・アボット/「先天性右手欠損」という障がいを持ちながらも、MLBで活躍したプロ野球選手。投手として数々の受賞歴がある。NYヤンキースに所属の1993年には「ノーヒットノーラン」の偉業を達成した。 ーーーーー ーー投げる練習など始めていますか? 佐野 現状だと、まずは体力を付けないとだめですね。今はまだ体幹が不安定なので、シャドーピッチングまでに留めています。ちょっとずつ力は付いてきたので、そろそろボール投げを始めようかな? とは思っています。もう少ししたら、いくつか練習の場所があるので、キャッチボールを始めてみようかなと考えています。 ==次回に続く== 佐野慈紀(さの・しげき) 1968年・愛媛県松山市生まれ。第68回全国高校野球選手権大会にて準優勝。近畿大学工学部に進学して同大のエースとしてリーグ10連勝に貢献。1990年、ドラフト3位に指名され翌年に近鉄へ入団。中継ぎ投手としてはNPB(日本プロ野球連盟)で初の「1億円プレイヤー」となる。2003年に現役を引退。 ≪Tiger編集部≫
2024.11.04
津波が容赦なく押し寄せてきた 大熊町では震度6強が観測され、海沿いに位置する福島第一原発には、推計13mの津波が到達した。 地震が発生したその日のうちに、原発から半径3km圏内に避難指示が出され、該当する地区に住んでいた方は、スポーツセンターなど町の施設に身を寄せた。原発の状況が悪化するとともに、避難指示の対象は拡大され、翌12日のうちに、大熊町はその全域が避難指示の対象となった。 「とにかく西へ」。避難が始まった当初、町の方に届いた言葉はただそれだけだったという。西のどこ、というわけではなく、「とにかく西へ」。 住民全員が自治体を離れなければいけないという過去にない事態において、受け入れ先の施設など、用意されているわけがなかった。大熊町から南北に移動するための道路は地震の影響で歪み、通れない所が多かったことから、車が通行できる状態であった西に向かう道路で、多くの人が避難することになったそうだ。 これまで何人かの町民の方に、事故後の様子や生活について話を伺ってきたが、多くの方が「2,3日で大熊に帰って来られると思っていた」とおっしゃられる。 大熊町への避難指示が最初に解除されたのは、実際には、事故の発生から丸8年が経過した、2019年の4月であった。その後、2022年6月にも、町内の一部の地区への避難指示が解除されたが、現在も避難指示が発令され、立ち入りを制限されている地区も多く残っている。震災発生から13年が経つ現在も、かつてのご自宅、生まれ育ち長く暮らした地区に帰ることができないという状況の方も多くいる。 ある日突然自分の住んでいた地区を離れないといけなくなり、そのまま10年以上、あるいはもっと長い期間、そこに戻れないという状況に置かれた方の心情は、いくら当人に話を伺ったとしても、私が完全に理解できるものでも、ここで文章にできるものでもないと思う。ただ、先の原発事故がこの町の方の暮らしと故郷を一変させたという事実は、多くの人が改めて目を向け、より重く受け止めるべきであるように思う。 ▼事故後、福島県をはじめとする8県で、生活空間の放射線量を下げるため、除染と呼ばれる作業が行われた。除染にもいくつかの方法があるが、中心となったのは、飛散した放射性物質が付着した土を剥ぎ取ってしまうというものだ。例えば学校の校庭や、公園の土などが対象となり、表土が剥ぎ取られたのである。除染作業は生活再建のために必要なものであったが、除染のため剥ぎ取った、除去土壌と呼ばれる大量の処理という問題が新たに生まれることになる。 福島県内の除染作業に伴って発生した除去土壌は、大熊町と、隣の双葉町に跨り、福島第一原発を囲うように整備された中間貯蔵施設に保管されている。その名の通り、この場所での除去土壌の保管は、あくまで中間的、時限的な措置であるとされ、2045年までに除去土壌は福島県外で最終処分されることになっている。後の連載で詳しく触れたいと思うが、現在中間貯蔵施設になっているエリアも、当然震災前は人が暮らしていた場所であり、この施設のために、少なくとも2045年までは自宅や生まれ故郷に戻ることが叶わないという方もいらっしゃる。 そして、町の名産だった梨やキウイは、除染によりその姿を消すことになった。果樹園地の除染では、表土の剥ぎ取りだけでなく、そこにある果樹の抜根が行われたのだ。放射性物質が付着した土を取り除くには、当然そこに根を張った果樹も、一緒に取り除く必要がある。その理屈も一定程度理解できるが、長年そこで果樹を栽培されてきた方々が除染と向き合われた時、私には到底推し量れない心境があったことと思う。 横浜出身の私は、震災前の大熊の風景も、大熊のフルーツの味も知らない。私が初めて大熊を訪れたのは2021年の夏で、その時にはもうかつての果樹園地は、除染を経て更地になっていた。ただ、その後で町に来た私でも、町の方のお話を伺っていると、少しだけ大熊のフルーツに触れることができる気がする。 震災前、春先には梨の花が一面に咲いて、町内の高い所からそれを見ると、真っ白な絨毯のようだったという話を、何人かの人がしてくれた。小学校の帰り道に、道中の果樹園で梨やキウイをもらって帰ったという思い出話をしてくれた方もいた。町の方が、そうした話を懐かしそうに、どこか嬉しそうに語っているのを見る度に、フルーツがこの町の風景や人々の暮らしを彩っていたのだろうと、知るはずもないその様子を想像してしまう。そして、そんな震災前の町の姿を、私も実際に見てみたかったなと、格別に美味しかったというその梨やキウイを食べてみたかったなと思う。 しかし、いくらそう願っても、震災前の大熊を訪ねることはできないし、町内で本格的な果樹栽培を再開される方もまだおらず、その願望は叶わない。それならば、話に聞いてきたかつての栽培法に倣って、自分がこの町で果樹栽培をしてみようと考えるようになった。それが、私がこの町でキウイを作るようになった最大の理由だ。 この町でキウイを作るというのは私のエゴであり、自己満足だと思っている。この町の出身でもなく、震災前の町の風景を見たことも、大熊のフルーツを食べたこともない私がそれを作ったところで、それは大熊のフルーツを取り戻したとは言えないだろう。特別農業の経験があるわけでもない私が作ったフルーツが、震災前この町で作られていたもののように多くの人に愛され、美味しいと言ってもらえるものになるとも限らない。 それでも、町の方に震災前の話をたくさん聞かせてもらい、この町で作ったフルーツを私は食べてみたいと思ったし、これから先のこの町の風景の中にも、私は果樹があってほしいと思った。そんな個人的な願望を理由にキウイを育てていることが、町の方のためなどとは言えず、どこまでも私の自己満足だと思う。 自己満足だと思いながらも、自分が美味しいフルーツを作り、それを食べた町の方に喜んでもらいたい、自分の取り組みが町の方のためになってほしいという思いもある。先に述べた、この町にキウイが導入された歴史や、長くこの町で果樹に向き合ってきた先人たちの試行錯誤を、自分が引き継ぎ後世に伝えたいとも考えている。それもこれも全部、私のエゴでしかないのだが、そんな理想像が私の原動力になっている。 本格的にキウイ栽培を始める ▼そんな思いのもと、地元の方たちが作った任意団体の活動に参加する形で、2年前からキウイ栽培を始めた。そして昨年秋には、ReFruitsという名前をつけた会社を共同で創業し、今年から会社の事業としての本格的なキウイ栽培をスタートさせた。わざわざ会社を立てたのは、この町での果樹栽培を数十年先まで持続可能な、町の主要な産業と言えるものにしたいという思いからだ。 大熊のフルーツとしては梨の方が歴史は長く、生産量も多かった。それにも関わらず、梨ではなくキウイの栽培から事業を始めたのは、キウイの市場状況が良好で、ビジネスとして成立させられる可能性がより高く、自分たちの目指す産業としての果樹栽培の再生の実現可能性が高いと考えたからだ。 実は過去20年の間、日本全体での人口減少を背景として、梨を含むほぼ全てのフルーツの消費量は長期的な減少傾向にある。そんな中で、キウイの消費量だけはこの20年で2倍以上に増えてきたのだ。 数あるフルーツの中で、キウイだけが驚異的な消費量の伸びを記録している理由は、この業界を牽引とするZespriという巨大企業の強烈なプロモーションと、マーケティング戦略に求めることができる。 緑と黄色のキウイを模したキャラクター、通称「キウイブラザーズ」が歌い、踊る印象的なCMを、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。2016年にZespriが導入したこのCMシリーズは、今や毎日のようにテレビ、youtube、インスタグラムの広告で流れ、キウイの美味しさと健康効果を多くの人にアピールしている。しかしよく考えれば、これは異常なことだ。一つの食材のためのCMが、これだけ多くの媒体で全国的に流されているケースなど、一体他にあるだろうか。りんご単体のCMも、みかん単体のCMもない中、Zespriはキウイというフルーツの認知度と、購買意欲を向上させるための徹底的なプロモーションを、相当な予算をかけて行ってきたのである。 その結果、2000年代初頭には5万トンほどであったニュージーランドからのキウイの輸入量が、2020年には10万トン以上にまで増えている。一方、国産キウイの出荷量は右肩下がりで推移しており、最近は約2万トンにまで落ち込んでいる。つまり、現在キウイの輸入量と国内出荷量の間には、8万トン近い大きなギャップがあるのだ。 Zespriが扱うニュージーランドのキウイは、南半球で栽培されているものなので、国産のキウイとは出回る時期が被らない。そのため現在の日本では、ニュージーランド産のものが出回る時期には10万トン以上のキウイが消費されているのにも関わらず、国産が出回る時期には約2万トンしかキウイが供給されていないという状況になっている。つまりZespriが強烈なプロモーションにより開拓してくれた日本のキウイ市場は、国産の時期においては過小供給の状態になっており、国産キウイは確実に販路を作り、売上を確保することができやすい環境にあるのだ。 こうした背景のもと、会社としては今年の春からキウイ栽培をスタートさせたが、桃栗三年柿八年という言葉があるように、キウイも他の果樹同様に、栽培の開始から実をつけるまでには長い時間がかかるため、本格的な収穫はまだ先になる。それまではキウイによる売上は立たず、キウイの市場状況は良好と言えど、我々の会社としての挑戦は簡単なものではない。 それでも私がキウイを作ろうと思ったのは、現在の共同創業者をはじめ、過去数年この町に関わる中で、多くの方との素敵な出会いがあったからだ。 ありがたいことに、まだ何も成し遂げてない自分にこうした連載のお話をいただいた。拙い文章になってしまうと思うが、せっかくいただいた機会なので、魅力あふれるこの地域の人々との出会いを中心に、当初はキウイを作ることなど全く想像していなかった私の歩みと、私から見えるこの地域の今の姿を、伝えていきたいと思う。
2024.11.03
糖尿病に起因する感染症により2024年5月に利き腕である右腕の切断手術を受けた元プロ野球選手の佐野慈紀氏(56)。 現役時代は近鉄や中日で中継ぎ投手として活躍し、「1億円プレイヤー」にもなった。 中継ぎ投手としての実力はもちろんのこと、佐野氏の人気を支えたのは、「ピッカリ投法」。通常の投法とは違うワインドアップ投法のモーション中に帽子を落として禿頭を見せるパフォーマンスが有名だ。 退院後はリハビリと加療に努めているという現在の様子を佐野氏に聞いてみた。 ーー手術後のことについて教えてください。 佐野 一般病棟に戻ったんですよ。そこで初めて(右腕を)切断した自分の姿を鏡で見た時に「やっぱり無くなったんやな」と感じました。正直、自分に起こっていることの意味が分からなかったんです。 ーーそれはそうですよね。 佐野 「戻すことができるなら戻したいな」っていう気持ちは当然ありました。鏡を見ているうちに「これを受け入れなくちゃな」って一瞬思ったんです。でも、「“受け入れる”って何やねん?」とも思ったんですね。「受け入れられるわけ無いやろ」って。でも、そこで変に「受け入れる」だなんて考えてしまうと、どんどんとネガティブになってしまうかもしれないというのが凄く嫌でした。 ーーネガティブに考えるのをやめようと思ったわけですね。 佐野 「受け入れる」ことはできないけれど、強がってはいけるなって思ったんですね。だったら、「“強がり”って思われてもいいからポジティブにいよう」、同時に「絶対にネガティブにはならんでおこう」って考えたんです。鏡の前から離れてベッドに戻るときに左手でシャドーピッチングをしてみたんですね。そうしたら「割とイケるな」って。(自分を)根っからの野球人だと思ってるんで、「これ、練習して投げられるようになったら野球教室とかで教えるのもできるよな」って。だったら、これは公言していこうっていう感じに気持ちが切り替わりました。36 ==次回に続く== 佐野慈紀(さの・しげき) 1968年・愛媛県松山市生まれ。第68回全国高校野球選手権大会にて準優勝。近畿大学工学部に進学して同大のエースとしてリーグ10連勝に貢献。1990年、ドラフト3位に指名され翌年に近鉄へ入団。中継ぎ投手としてはNPB(日本プロ野球連盟)で初の「1億円プレイヤー」となる。2003年に現役を引退。 ≪Tiger編集部≫
2024.11.03
心房細動治療でミス? 令和6年1月25日に六本木心臓血管研究所において患者A氏の心房細動治療の為のカテーテルアプレイション時に、動脈穿刺による後腹膜の背面部に1ℓ以上の出血による血種発生、骨盤と右下肢の神経圧迫による右脚麻痺に至る。 今回の医療過誤は、動脈を誤って穿刺した事に加え、病院側のアフターフォロー体制が整っていない事で、健康で五体満足な患者の右足を麻痺させてしまった事である。 出血後のCT検査も遅れ、止血も圧迫止血という的外れの方法ですぐに出血を止められずMRI設備が無い為、すぐに止血ポイントの特定が出来なかったものと思われる。 顔面蒼白、意識朦朧、血圧70台、無呼吸も発生していた状況で、妻と娘が懇願しても血液検査をすることも無く、ICUに移して貰えず一晩中放置された。 翌朝9時半にコイルによる止血が行われ、HCU病室に移動された。 動脈穿刺から実に25時間も過ぎていた。 その結果1ℓ以上の大量出血が起こり、26日から27日にかけて多臓器不全に陥った。 直径12cm以上の巨大血種が後腹膜にでき骨盤や右脚神経を圧迫して右脚神経麻痺の為右足首を動かす事も出来ず、歩行にはL字型装具が必要になる。 右脚はピリピリ痺れて痛くプレガバリン等の痺れ止め、痛み止めを服用し続けている。 1月25日の16時にCTスキャンで出血確認された時に、コイルによる止血を行っていたら1ℓにも及ぶ出血も防げたし、右脚の麻痺も無く歩行困難にならなかった。 この件で、担当医師のB氏は医療ミスを家族に対し認めたが、後日病院長の家族に対する説明では医療過誤は無かったとの見解を伝えるが到底納得出来るものでは有りません。 当初の説明では医療費についても請求をしないとの説明を受けていたが、後日医療費の請求書も満額の金額で自宅に送付されてきました。 動脈穿刺による内出血を軽く見た為の止血処置の遅れが原因で巨大な血種ができ、神経を圧迫した事から右脚麻痺に至り、内出血を起こしている患者に対し圧迫止血は有効では有りません。 かえって出血を促す結果になったのではないのでしょうか。 出血による影響で2日間に及ぶ多臓器不全に陥ったが、治療を施して貰い一命は取り留めましたが、その後胆嚢炎や肝臓の数値が悪い等の症状も出ている状況です。 このような状況でも病院側は医療過誤では無く合併症とし対応しているとの主張をしている。 令和6年2月7日に心臓血管研究所から済生会中央病院に転院をしました。 この時の病院間での引継ぎ書を見ると、心房細動に対してカテーテルアブレーションを施行、鼠径部からシース穿刺時に腸骨動脈損傷を来たし後腹膜出血に至った為、出血性ショク、多臓器不全となった。 翌日にコイル塞栓術を施行し止血が得られ多臓器不全は改善傾向と記載が有り、病院側のミスで動脈損傷を来たし、後腹膜出血に至ったとの血種が出来る原因が記載されているにも関わらず、合併症を主張されています。 また、入院前は普通に歩行が出来ていた方が大腿神経・座骨神経領域運動麻痺の可能性、腓骨神経麻痺合併の可能性を指摘していながら病院側の責任は無いとの見解を出されるのか疑問点だらけです。 見守り以上の介助が必要とも記載されていて自力で歩行する事は困難で、足首にL字型装具を着けて介助付きで歩ける状態です。 それでも300m歩ける程度です。 走ることや、車の運転をする事も出来ず歩行は疲れ易く就労は不可です。 妻も夫の介護で就労不可能なので、医療費や立替費用で既に400万円程、負担しています。 右足麻痺は改善しません 現在、血種は無くなりましたが、右脚麻痺は改善しません。 当初は、血種が無くなれば麻痺も無くなると診断されていて、一時は血種除去手術を検討しました。 血種を取り除くのは、骨盤を取っての大手術になり、血種除去により腎臓や膀胱、大腸等の隣接する臓器を傷つけてしまう危険性もあるので断念しました。 結局、血種が無くなっても右脚麻痺は治らないので手術をしなくて良かったのです。 出血箇所をコイル塞栓術で止血してから血圧は120から180と変動幅が激しく、頻脈100以上ですが、手術前は脈が80から90位で血圧は130前後でした。 術前と術後にこれだけの違いが有り、歩行困難にされ医療過誤では無いと主張する病院側担当医師は手術中に動脈の損壊による出血が原因での後腹膜血種による神経圧迫が原因だ と言っていて、録音機にその時の録音もあるのですが、病院側は認めません。 一人の健常者に障害を負わせた罪は大きいと思います。 障害者にされた方は元の身体に戻して欲しいだけです。 大病院の隠蔽体質は罪であり、殆どの方が泣き寝入りしているような現状を改善するべきである。
糖尿病に起因する感染症により2024年5月に利き腕である右腕の切断手術を受け、同年8月に退院した元プロ野球選手の佐野慈紀氏(56)。 現役時代は近鉄や中日で活躍し、中継ぎ投手としてはNPB界で初の「1億円プレイヤー」にもなった佐野氏。 「1億円プレイヤー」にも押し上げた右腕を切断し、リハビリと加療に努めているという現在について聞いてみた。 ーー現在の体調はいかがですか? 佐野 ボチボチです(笑) 月・水・金と週に3回の(人工)透析を受けているんですけれど、それが終わった後の2時間くらいはキツいですね。そのキツいのさえ無かったら、体調が悪いみたいなのは、それほどでもないですね。ただ、心臓弁膜症も患っているので息切れを起したりはするんですけれど、割と元気な方だと思います。 ーー生活するうえで不便だと感じることはありますか? 佐野 ジムに行ってトレーニングなんかもやっているんですけれど、ある程度は左手でできるようになったんで、特段「これが不便だ」と思うことはないですね。ただ、慢性的な体力低下をしているので、一つの行動とかが遅かったりしますね。例えば、階段の上り下りであったりがたまにバランスが崩れたりするので不安定であるのは間違いないですね。 ーー手術後もブログやX(旧Twitter)の更新をやっていましたが、それは左手でやっていたんですか? 佐野 元々、携帯とかも左手でやっていたので、そこはあんまり問題ではないです。入院中は後に振り返ることが出来るように、自分の「備忘録」としての意味もあってブログとかに情報を載せていました。 ーー多くのメディアに取り上げられたり、ファンの人たちからの投稿も多かったようですが。 佐野 (自身が)想像していた以上に遥かに大きい反響がありましたね。友人や知人だけでなく、非常に多くのファンの人たちからもお見舞いや励ましの投稿をいただきました。それが「頑張ろう!」という力になったのは間違いないですね。 ==次回に続く== 佐野慈紀(さの・しげき) 1968年・愛媛県松山市出身。第68回全国高校野球選手権大会にて準優勝。近畿大学工学部に進学して同大のエースとしてリーグ10連勝に貢献。1990年、ドラフト3位に指名され1991年に近鉄に入団。中継ぎ投手としてはNPB(日本プロ野球連盟)で初の「1億円プレイヤー」となる。2003年に現役を引退。 ≪Tiger編集部≫
2024.11.02
全ての癌細胞はミトコンドリアの機能を停止しているが、このためにミトコンドリアからのアポトーシスが出て死滅するのを防ぐためこの信号をブロックする物質を作りこれによりアポトーシスを回避していることが知られている。ヨウ素はこのブロック物質を外すことにより癌細胞を死滅させることがすでに明らかとなっている。メキシコ国立大学のグループは一連の乳癌治療のデータからステージI~IVの混合患者群に対して5年生存率は抗がん剤治療では46%に対してヨウ素単独治療で82%の5年生存率を上げるデータを示しており、このことからヨウ素は癌幹細胞をもアポトーシスに追い込んでいる可能性が示唆されるわけである (1)ステージIV癌患者のCTC検査結果 我々は仙台の仁保に電子研究所中川原先生との共同研究として5年以上に渡り癌患者のCTC(Circulating Tumor Cell)検査を520回以上行ってきた(2024/07/15現在)。その検査の概要については本雑誌5月号記事を参照されたい。この過程でCTC細胞は3種類の癌細胞が存在することが示された(図1)。我々はそれをType 1(働き蜂)、Type2(女王蜂)、そしてType3(女王蜂が生んだ卵から生まれた幼虫)の3種類に分類した(図2)。これまではType1のみが知られていたため抗がん剤Type1は殺せるが、Type 2, Type3細胞を殺すことはできないこともわかっている。ここでType2細胞は間葉系由来の性質を持つ細胞であり、癌幹細胞が間葉系由来細胞であることが分かっているのでこのType2細胞が癌幹細胞とみなされるようになっている(または癌幹細胞様細胞とみなされている)。最初に数十例に関してヨウ素治療開始前にCTC検査を行ったが、ステージIV患者は全員Type2陽性であった(Type 1&3は陽性でない例も多数見られた)。このことからType2なしでは転移がおこらないことがまず、確認された。また本年に入り韓国からのステージIV患者を受け入れているが30名全員がType2陽性であり、Type2細胞が転移の原因であることが強く示唆されることがわかる。身長、体重を勘案してヨウ素投与量は基本は毎食前30ccからスタートすることとした。ヨウ素水を飲む過程で血液検査CRP、LDH、腫瘍マーカーの値とCTC検査に付随して行うcfDNA値(血中のfree DNA濃度、癌細胞を破壊するとこの値が増加する)を見ながら、ヨウ素の効果を判定し、これらの値が低値の場合にはヨウ素を増量するやり方を確定した。この方法でステージIV患者にイオン化ヨウ素(10,000ppm)を投与することで、約1か月で3割、約2か月で8割、そして約3か月で100%例外なく全員がType2細胞を消すことに成功しています(図3)。 (II)女王蜂が消失した後の経過 そこで、ヨウ素水を切ってその後約6か月毎にCTC検査を行って追跡すると最大で2年前後追跡すると6名を除く全員が現時点でType2細胞の再出現は見られていない。Type2細胞が再出現した6名についてはその原因が不明であったが、ある1名の患者さんへのヒアリング中にこの患者が内密に抗がん剤投与を受けていたことが判明したため残り5名にも詳しく聞き取りを行ったところ全員が抗がん剤投与を受けていることが判明した。抗がん剤の種類は違いがあり、論文検索を行うと、抗がん剤投与で上皮性癌細胞の上皮間葉転換(EMT: Epithelial-Mesenchymal Transformation)を起こすことが知られており、ヨウ素の飲用なくType2消失後抗がん剤を使用するとType2細胞の再出現が起こることがわかる。患者さんの中には主治医との関係維持のためどうしても抗がん剤を拒否できない方々がおられるが、強くヨウ素水飲用の継続を勧めている。この結果を受けて再度患者さんの過去の治療歴と生存率やヨウ素の摂取量を検討しなおすと抗がん剤治療の頻回に長期に繰り返した方ほどType2細胞の数が多く、しかも凝集化やアメーバー上の変化が頻繁にみられることが分かった。これらの変化によりType2細胞はより移動性と粘着性を増し、急速に転移が起こることも判明した。これらの患者の中には急速な転移の拡大にヨウ素治療が間に合わず不幸な転帰となるケースが多くみられた。また治療開始時に非常に高いcfDNAレベルにある患者(300-4000pg/μl)では栄養不良によるCachexia(悪液質)状態にあり、筋肉細胞などを大量に破壊して生命維持を行っているためCTC細胞も極端に減少しており、不幸な生命予後に陥ることが多い。このような患者ではまずCVポートからの栄養点滴などの全身状態の改善を優先しないと救命は極めて困難なことも明らかになった。 (III)コロナ後のヨウ素治療の問題点 もう1点重大な事実が判明した。それはコロナワクチンを頻回に摂取した方(4回以上)は極めてヨウ素の効きが悪く、ほとんどの方が3か月で消失しなくなっている(図4)。ワクチンにその理由は解明されていないが、頻回にワクチンを投与するとIgG4抗体が増加することが判明しており、これによりアポトーシスが延長することが知られており、ヨウ素によるアポトーシス誘導が阻害されることが可能性として考えられる。ただし、4-6か月飲み続けた患者は全てType2細胞(女王蜂)が完全に消失しており、余分に時間がかかるものの完治に向かうことが確認されている。 (IV)最終治療成績 以上からこの3年間のステージIV癌患者の治療結果を関連データと比較してまとめると図4に示す結果となる。世界の医療界特に欧州ではCTC検査により捕まえたCTC細胞を集団として様々な抗がん剤やサプリなどを投与して最適治療薬を検出する方法がとられている。この方法とも比較してみることにする。 まず抗がん剤単独による治療では生存率はわずか10%であるが、CTC検査で最適抗がん剤を決定してその情報を用いて最適抗がん剤を選択して治療を行うと生存率は35%まで上げることができるが、CTC検査でType2細胞を同定してそれをヨウ素で処理すると3年生存率であるが83%まで上げることが可能であることがわかる。ステージIV治療で我々の方法がいかに優れた治療法であるかが証明されたことになる。
2024.11.02
第一章 甲南遊園地の日々 プロローグ ~1990年春~ 俺は大学2年生。麻は同学年ではあるが短大に通っていたので俺より早く卒業時期を迎 えていた。俺と麻はバイト先のコンビニで出会った。麻は所謂、流行りの女で梅田の MAHARAJAの丸ビル店やRADIO CITYによく出入りしていた。紫系のボディコンのような スーツをまとい、ケバい化粧をして良く出かけていた。俺はというと大学の野球同好会に 所属し、小学生の頃からしていた野球をなんとなく続けていた。大学に入って覚えたこと と言えば酒とたばこと海外旅行と麻くらいもの。とりわけ麻は刺激的で一緒にいるとトレ ンディドラマの中に生きていると錯覚することもあった。 麻は俺と同棲してからはすぐにコンビニバイトを止めて夙川駅前のワンダフルバーとい う店にバイトに行くようになっていた。バーとは名ばかりで実際にはボックス席が中心の ラウンジのような店だった。今でいうキャバクラに近い。まだバブル経済が続いていた最 中であったことから効率よく稼ぎたかったことと、もう一つ理由がある。麻は酒が大好き だった。そして、酒に強かった。酔いつぶれたところを見たことが無かった。確かに麻は コンビニバイトより水商売でのバイトの方が向いている。飲んで遊んで買い物して、流行 と娯楽に明け暮れる麻には女子大生という免罪符が与えられている。その女子大生が流行 を牽引し、景気を左右する存在であった。つまり、麻は時代の最前線にいて、俺は麻を通 じて流行の端くれにしがみついていたに過ぎない。未熟な俺にとって麻は1990年を生きる 大いなるモチベーションになっていた。
2024.11.02
軽井沢署の事情聴取 今年5月26日、長野県警軽井沢署に一通の告訴状が提出された。 告訴状受理番号は、1100××。告訴内容は、窃盗である。 告訴人は某ボクシングジム(東京)職員A氏。被告訴人は、沼田康司。 捜査関係者の話を総合するとこうなる。 「A氏が買ったばかりの高級スニーカーをちょっと目を離した隙に沼田に盗まれたということだ」。 A氏が勤めるボクシングジムに沼田も所属しており、そのジムは軽井沢で合宿をしていた。 すべての日程を終え、帰京しようとしていたときにこの窃盗事件は起きた。 購入したばかりのスニーカーがなくなっていることに気付いたA氏は血眼になってその行方を探したところ、沼田が素知らぬ顔をしてそのスニーカーを履いていたという。 A氏は当然、沼田を詰問する。その時沼田は、「これは自分のものだ」とシラを切った。 あまりの開き直りに呆れたA氏は、自分の手には負えないと判断、やむを得ず司直の手を借りることにした。 窃盗の現場である軽井沢市の所轄署である長野県警軽井沢署に告訴状を提出したというわけだ。 これがことの経緯である。 「あれはプレゼント」 告訴からほどなくして、沼田は軽井沢署の事情聴取を受けることとなる。そこで沼田は、『あれ(スニーカーのこと)は、プレゼントされたんです。盗んだなんてめっそうもない。プレゼントです!』と憤然と言い放ったという。スニーカーの持ち主が〝盗られた〟として、刑事告訴までしているのにもかかわらず、〝プレゼント〟と言い張る厚顔に驚きを禁じ得ないが、そうなると警察も手を出せなくなる。相互の言い分が明らかに違っていて、両者ともそれを証明することができないとなると警察は手が出せないのだ。 A氏にしてみれば腹の虫が治まらない思いだろうが、そこはもうどうにもならない。これだけでもあまりに理不尽な話だが、そのあとがまたとんでもない。 警察の手から放された沼田は、事情聴取の一件を伊豆からのツイッターにアップした。 そこには、こんなことが書かれている。『(警察の事情聴取を受けたことを前振りにして)ある方の嫌がらせを受けた。皆さんも気をつけましょう!』 「嫌がらせを受けた」 A氏にしてみればさぞかしはらわたの煮えくり返る重いであろう。〝嫌がらせ〟などと言われ、挙げ句の果てに、〝皆さんも気をつけましょう〟などとあたかも沼田自身が被害者かの如く吹聴されたのである。 さて、この沼田だが、実は知る人ぞ知る人物なのである。 元日本ウエルター級チャンピオン。現在39才。まがりなりにもチャンピオンだった男なのである。それが、スニーカーを盗み、バレたら、今度はやれプレゼントされただの、嫌がらせだのと被害者ヅラを臆面もなくする。ハングリー精神や孤高を問われるボクシングというスポーツに携わっていた人間とは到底思えないような醜悪な振る舞いである。 絶えないトラブル 当時を知るボクシング関係者によると、沼田について、「現役時代も引退してからもトラブルは絶えず彼にまとわりついていた」という。そんなトラブルにしたってボクシング以外の生活面でのことが大半だったそうだ。今回の軽井沢署の件にしたってボクシングとは何の関係もない。 これは沼田の人となりを知る上で重要なキーワードとなっている。 「元チャンピオンという金看板を汚すようなことをしでかさなければいいが」。 こんな風に沼田を嘆くボクシング界の重鎮もいる。
2024.11.02
ゲームは規制の対象 マンガやアニメ、ゲームほど叩かれ、規制の対象とされて来たものはないだろう。特に 性的な表現、いわゆるエロ描写に対しては、異常ともいえるほどだ。 平成二十二年(二〇一〇年)の『非実在青少年』はその最たるものだった。 ──非実在青少年。 これは同年三月、東京都議会に提出された「青少年の健全育成に関する条例(通称:青少 年健全育成条例)」で用いられた造語である。 この都条例は、青少年の健全な育成にそぐわない書籍などを『有害図書』として指定、 規制するものだった。 背景には、当時問題になっていた援助交際、未成年モデルの水着やヌード写真集、ティ ーン向け雑誌のSEX記事などがあった。 未成年を性的搾取や性被害から守るため、未成年モデルの際どい写真集を規制し、援助 交際=売春を誘発するような記事をティーン誌から排除する…ここまでは、まあ分かる。 しかし当時の東京都知事・石原慎太郎などの政治家達が、規制対象をマンガやアニメ、 ゲームにまで広げるべく改正した。 未成年に見える存在、そのヌードや下着姿、場合によっては水着までも、それが映って いる媒体を規制しようというのである。 フィクションの未成年(に見える)キャラクター、これをして『非実在青少年』と称し たのだ。実にとち狂ったパワーワードである。 当然ながら『非実在青少年』は失笑と反発をくらった。SNSでは「アニメのキャラと 結婚できるの?」などと揶揄された。 さすがにマズいと思ったのだろう。条例立案者である石原慎太郎氏は「非実在青少年な んて、誰がどう解釈しても、幽霊の話かと思っちゃう」と発言し、分かりにくいと認めた 。そこでこの『非実在青少年』のワードは条例案から削除された。 だが結果としてこの条例案は拡大、暴走する。 同年十二月の条文で、規制対象は「刑罰法規に触れる性交および性交類似行為」と「近 親相姦を肯定的に描いた内容」に変更された。表現規制から、作品の内容やテーマ自体を 規制する内容規制へと変質したのだ。 「顔が幼く見えるから」「子供っぽい体型だから」という個人の主観。「肯定的に描い ている」という個人の印象で、あらゆる表現物を規制できるシロモノになったのである。 これは憲法で保障された表現の自由に反する問題である。 マンガ関係者はじめとする猛反発が沸き起こった。 しかし石原氏はじめ推進派は意に介さなかった。 「児童を性被害から守る」という大義名分を掲げ、「日本のポルノ規制は、諸外国に比 べて甘い」「ポルノ規制がぬるいから日本は性犯罪が多い」「アメリカのように児童ポル ノは所持そのものを違法とすべき」と、その必要性を説いた。 しかし、推進派が並べた規制すべき理由もエビデンスはなかった。 まず、ポルノ規制が厳しい国ほど性犯罪、性被害が多い。これははっきりとデータが出 ているが、表現起規制派は無視している。現在も、だ。 単純所持を違法とすることも問題があった。 この条例案だと「子どもの裸」が写っているものすべてが違法になるのだ。つまり自分 の子ども写真でも、それが裸だったら違法となる。子どもが裸になるシーンがあるアニメ のDVDを持っていると罪になるのだ。 これがどれほどヤハいことか、想像してほしい。 『となりのトトロ』、『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』のDVDが違法なブツ になるのである。ジブリや東宝にあるマスターフィルムも違法である。問題の部分を切り 取って廃棄しろというのだろうか。もう『華氏451』か『1984年』の世界である。 更に、これを悪用して他人を陥れる危険もあった。何しろ持っているだけで罪に問われ るのだ。実際アメリカでそうした事件は起きている。 児童買春を告発する民間団体からも懸念が上げられた。単純所持が違法になれば、告発 のための証拠映像までも違法になってしまうからだ。 最も大きな問題は、推進派たちは恣意的な運用、濫用を防ぐための方策をまるで用意し ていないことだった。これでは権力を持っている側が、「気に食わない」と思えばいくら でも規制できてしまう。青少年を守ること以外の、別の目的があると勘ぐられても不思議 はない。 これだけの問題、欠陥を指摘されても石原都知事たちは止まらなかった。意地になって いたのか。あるいはそれほどに表現規制がしたかったのか。 新条例の成立 さすがに単純所持を違法にまでは踏み込まなかったが、この東京都青少年健全育成条例 の改正案は都議会本会議で可決され、条例は成立した。 一応、マンガ家や出版業界の反発を考慮して、「作品に表現した芸術性、社会性などの 趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」などの付帯決議が付いたが。 この条例に反対して、主要な大手出版社で作る10社会が、東京都が主催する東京国際ア ニメフェア2011にボイコットを表明、原作となるアニメ作品の制作会社にも同様に働きか けることを告げた。 しかし石原都知事は「来るヤツだけで開催すればいい」と強気だった。 結果、この条例に反対する出版社、アニメ制作会社は、東京アニメフェアに対抗して、 同日、千葉でアニメコンテンツエキスポを開催することとなった。 しかしこの二つのアニメフェスは開催されなかった。 東日本大震災とそれに伴う電力不足により中止となったのである。 開催されていれば、石原都知事の面目をつぶし、表現規制派への一撃となったかもしれ ないと思うと残念である。 この一連の騒動はメディアの扱いは小さかった。 「たかがマンガ」「しょせんエロコンテンツ」という頭があったのだろう。エロ表現の 規制に反対することでバッシングされることを恐れたのかも知れない。 中には擁護に回ったメディアさえあった。 マンガ家たちによる条例反対会見で、読売新聞の記者から「出版業界の自主規制が不十 分だ」「不健全図書に指定されても区分陳列をするだけで、表現規制ではない」との声が 飛んだ。 提灯記事を書けば、都政の情報を優先的に流してもらいやすいからなのだろう…と、条 例に反対していた都議は言ったとか。 あれから十数年。この都条例のような愚かな条例、危険な法案は提出され続けている。 香川県の「ゲームは一日一時間」条例。埼玉県の「小三以下の子に留守番させるのは虐 待」条例(こちらは廃案になったが)。そしてAV新法。マイナ保険証もそうだ。 当事者を蚊帳の外においた条例。エビデンスのない理由を並べた規制。恣意的な運用、 濫用を防ぐガイドラインのない法案。愚かで危険な条例、法案がいくつも提出され、通さ れ続けている。 表現の自由は、言論の自由とセットの民主主義の根幹を成すものだ。これを制限するよ うな法や条例に、我々はもっと関心を持たねばならない。 非実在青少年が話題になった時、BL好きの腐女子たちは、「規制されるのはキモヲタ が好きな萌え絵、エロマンガだけ。自分たちは関係ない」とタカをくくっていた。しかし 現在、有害図書とされるものはBL作品が圧倒的に多いという。正に、 「ナチスが共産主義者を連れさった時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなか ったから。 彼らが社会民主主義者を牢獄に入れた時、私は声をあげなかった。社会民主主義者では なかったから。 彼らが労働組合員らを連れさった時、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかった から。 彼らが私を連れさった時、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」 これを地で行く出来事である。 愛するものがあるなら、他の誰かの愛するものが傷つけられ、奪われることに対しても 声を上げなくてはならない。それがどんなに下らなく、無用と思えるものであっても。 たかがマンガ、しょせんエロコンテンツと軽くみてはいけないのだ。
2024.11.02
選挙の主役となるシルバー世代からの批判を恐れず生産世代を意識した政策 先に行われた衆議院選挙において大方の予想通り自公政権の議席が過半数を割り込む与 党にとっては厳しい結果に終わった。自民党安倍派の政治資金パーティーの収益のキック バックを収支報告書に記載していなかった不記載問題への岸田政権の対応は生ぬるく国民 の反感は思った以上に大きかったということだろう。自民党総裁選挙が終わり石破新総理 が選ばれて首脳部を刷新し新政権が誕生したばかりの時期にはご祝儀的に支持率が一定期 間支持率が上振れる。その期間を狙い撃ちした解散総選挙であったが、自民党が思ってい たほど国民の歓迎機運は続かない。総選挙が公示されると石破政権の支持率は徐々に下落 。選挙戦半ばには多くのメディアで与党の過半数割れの可能性が報じられるようになる。 新政権は瞬く間に新鮮味を失い旧態依然としたように映る中、自民党の選挙戦略も良くな った。「ルールを守る」というキャッチフレーズを展開したのだ。このキャッチフレーズ を聞いたり目にした多くの国民は「あたりまえだろ」とか「小学生か」と突っ込んでいた ことだろう。冗談のようなキャッチフレーズの下で自民党の支持率は急降下。テレビなど のメディアでは不記載を犯した下村博文氏や羽生田光一氏、三林裕巳氏など大物議員たち が苦戦を強いられる様が面白おかしく報道される。和歌山では5年で50億円もの政策活動 費を使ったと言われる二階俊博氏の後継の三男と不記載問題で除名された世耕弘成氏との 壮絶な選挙戦が注目された。メディアはまるで悪対悪の頓珍漢な戦いをコントの如く演出 し選挙戦を煽る。終盤に差し掛かると自民党から非公認とされた議員に公示後にも関わら ず2000万円が党本部から支給されたことが公になる。非公認なのに党勢拡大を目的とする 政治活動費を振り込む意味がわからない。党とは関係なく戦うことを強いられた候補に党 勢拡大活動の費用を渡してどうするものか。共産党赤旗にスクープされたこの問題も自民 党大敗の大きな要因になったことは間違いない。 事業者ではなく政治家に問題を見出す こうした自民党の転落劇の裏で急速に支持を拡大した政党がある。玉木雄一郎氏が率い る国民民主党である。国民民主党と言えば旧民主党の残党と小池百合子氏が創設し総選挙 で惨敗した希望の党で辛うじて生き残った議員らで結成し、さらに数年後には所属議員の 半数以上が立憲民主党に移ってしまうという事態に見舞われたオワコン政党の印象しかな い。世間では連合(日本労働組合総連合会)の組織内議員が既得権益として生き残った集 まりと思われていた。概ねその通りで国民民主党の議員の多くが労組の組織内議員と言っ ていい。自動車総連、UAゼンセン、電機連合、電力総連などは国民民主党に組織内議員を 有する。つまり、国民民主党は労働者向けの政策を前面に押し出してきた政党と言える。 春闘を年中やっているようなイメージの賃上げ要求政党であった。ただ近年の春闘を思い 起こすと多くの業界で3年以上の満額回答を獲得している。コロナ禍であっても満額の回 答を得ている。多くの大企業で賃上げ率は5%程度に膨らんでいる。歴史的高水準の賃上 げを獲得している一方で国民の生活水準には変化が見られない。変化がないどころか実質 賃金は何故か低下し続けている。給料は上がっているのに手取りは減り続けている。この 現象を踏まえてやっとというか今更というか漸く問題の本質に気が付いたのが国民民主党 であった。大企業から中小企業まで事業者は人材確保の観点から歯を食いしばって賃上げ に取り組んできた。一方、政治家や財務省は労働者の上がった賃金を消費税増税や健康保 険料や年金の負担増で刈り取ってしまっている。エネルギー料金の高騰、輸入物価の高騰 がそこへ追い打ちをかける。日銀の追加利上げというデフレ政策まで登場する始末。賃上 げが物価上昇に追いつかない所謂スタグフレーションの状態に陥っている。国民民主党は その活動方針を「給料を上げる」から「手取りを増やす」に大きく転換した。「事業者に 頼る」政策から「政治による税制改革と経済政策」へと施策を移行することで連合の一機 関的既得権益政党から脱皮する切欠を得た。連合にしか響かなかった政策が広く国民に支 持されるようになったのは国民民主党の立ち位置が大きく変わったからに他ならない。 例えば、所得税法についてはこうだ。現在の所得に対する基礎控除を103万円から178万 円まで引き上げるというもの。学生アルバイトやパートだけに恩恵のある政策ではない。 控除額が75万円分拡大し、全ての働く人の課税対象所得が減ることで大きな減税効果が及 ぶ。年収200万円の人は8.6万円の減税。年収300万円の人は11.3万円の減税、年収500万円 の人は13.2万円の減税、年収600万円の人は15.2万円の減税、年収800万円以上の人は22.8 万円の減税となる。これらの全税額はおおよそ消費税を5%に引き下げた時と同程度とな る。基礎控除を178万円まで引き上げる根拠はこの30年間の最低賃金の推移にある。現在 の基礎控除103万円は1995年から約30年間変わっていない。一方、最低賃金は1.73倍上が っている。30年間を経過した賃金上昇率に合わせて基礎控除額を上昇させると178万円に なる。東京の最低賃金は10月から1163円に引き上げられた。石破総理は2030年までの全 国の最低賃金を1500円にする意向を表明している。もし、基礎控除が103万円のままだと パートやアルバイトをしている人材は極限まで枯渇する。103万円を超えると扶養控除や 健康保険の扶養家族から外れることになる。学生アルバイトや共働きのパートは基礎控除 額の範囲内で働いている者が圧倒的に多い。このまま最低賃金ばかりが上昇すると労働力 不足は更に深刻となり経済成長を阻害する。国民民主党の打ち出す基礎控除を178万円ま で引き上げるという政策は控除による減税効果だけでなくパート、アルバイト等の労働力 の供給を後押しするという効果も備えている。また、控除の引き上げによる所得の圧縮に より健康保険料や年金も減額される効果が見込める。また、年金受給者にとってもメリッ トはある。年金の増額率は賃金や物価によって決まる。2024年は2.7%が増額された。所 謂「103万円壁」が178万円まで引き上げられることで多くの者が気兼ねなく現在よりもた くさん勤務することができるようになる。つまり、全体的に収入は一定程度上昇すること が予想できる。それに引かれて年金受給額もスライドすることになる。 三方よしのハイブリッド政策 国民民主党が唐突に打ち出した「103万円の壁」の打破、基礎控除の引き上げは、実質 的に所得税減税となり労働者にとっての利益となり、労働力の増加に繋がることから事業 者の後押しにもなる。そして、生産世代の収入の上昇と経済発展による物価上昇は年金受 給額の上昇にもつながる。労働者よし、事業者より、シルバー世代よし、の3方よしを叶 えるハイブリッド政策なのだ。 ところで、このような耳障りの良い政策を実行するための財源はどうするのかという疑 問を多くも者が持つだろう。現状において財源は心配に及ばない。政府税収は3年連続過 去最高を記録している。政府には18兆円近くも基金が積みあがっている。それ以外にも為 替差益が20兆円以上発生している。政府短期証券を発行することで外貨準備を崩さずに含 み益を一般会計に繰り入れることが可能だ。要するに政府には十分すぎる財源がある。消 費税減税もガソリン税減税も再エネ賦課金廃止もその原資は確保できているし実行可能な 状況にある。財源に困れば「日銀保有国債の一部永久国債化」等の代替策を検討すればよ い。 国民民主党には労組を母体としない議員が少数ではあるがいる。その筆頭である玉木雄 一郎が率いるからこそ、ハイブリッドな政策を打ち出し、それを正論化するにまで昇華で きたのだろう。必ずや政策を実現し高まった国民の期待に応えて欲しい。(世良 直)
2024.11.02









