高市政権の外国人政策強化
2025/10/23
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ときに政治家の失言には妙に納得させられることがある。 例えば四年前、二〇一九年四月、北九州市で開かれた福岡県知事選挙候補者の集会における塚田一郎国土交通副大臣(当時)の発言。故 安倍晋三氏の選挙区である山口県下関市と中選挙区時代に麻生太郎氏の地元であった北九州市を結ぶ下関北九州道路の建設計画に触れ、こ んなことを話した。 「吉田博美参院幹事長(当時)と大家敏志参議院議員が『地元の要望がある』と副大臣室に来た。何とかせにゃならん。下関と北九州で すよ。よく考えて下さい。下関は誰の地元ですか。安倍晋三総理です。総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まって いる。吉田幹事長が『これは安倍総理大臣と麻生副総理の地元の事業なんだよ』と。私すごく物わかりがいいんです。すぐ忖度します。分か りましたと。そりゃ総理大臣とか副総理がそんなこと言えない。でも私は忖度します。」 派閥の領袖麻生氏の地元ということもあってか、当該の地で大勢の前に立ち、塚田議員の口は滑らかになったようだ。 実際、財政難で一旦凍結されたこともある下関北九州道路建設計画が、最終的には国直轄の調査に引き上げられ、二〇一九年度からは国 が調査費用を全額負担することになったのだ。国土交通副大臣のポストにある塚田氏が忖度したというのなら、これを政治手腕と言わずし て何であろうか。 失言は事実なり この塚田議員の発言を受けて、国民の多くは納得したはず。やはり大物代議士を選出する選挙区にはメリットがあるんだなあと。選挙区 に大物代議士がいれば小さな町でも大きな道路が出来るし、大型施設も夢ではない。逆に大きな町でも野党政党の議員を出せば、ちょっと した道路工事にも長い年月がかかることを覚悟しなくてはならない。ほんの数百メートルの道路拡張工事がいつまで経っても終わらない、 という声はあちこちで聞かれる話だ。有権者も政治家を頼みにするし、政治家も有権者の為に働こうとする。 時代は遡るが新潟県の道路事情が良いことと新潟から総理大臣が生まれたことを無関係に考える人はいないはずだ。大物政治家の鶴の一 声で新幹線の駅がポッと田畑のど真ん中に出来たこともある。 最近で言えば、あの森友学園問題では、国有地が払い下げられる過程において、行政側のえげつない「忖度」が働いていたことを知ら された。麻生派の塚田議員が麻生太郎氏の地元に貢献しようと忖度するのは筋が通っている。 ところが、塚田議員は「大勢を前に我を忘れ事実とは違う発言をした」と全面的に発言を撤回。発言から四日後には副大臣職を辞任する ことになった。せっかく国民に政治家としての功績を披露したのに「失言」扱いとなってしまったのだ。でも、それは誰に対しての「失言 」か。国民にとっては「忖度」が政治を動かしているという「明言」だったのです。 そして最近、もっと腑に落ちる失言があった。石川県の馳浩知事の二〇二一年開催の東京オリンピック招致に関する発言だ。 「(安倍総理大臣から)『国会を代表してオリンピック招致は必ず勝ち取れ』と。ここから、今からしゃべること、メモを取らないよう にして下さいね。『馳、カネはいくらでも出す。官房機密費もあるから』」 さらに「一〇五人のIOC委員全員のアルバムを作って、お土産はそれだけ。だけどもそのお土産の額を言いますよ。外で言っちゃダメ ですよ。官房機密費使っているから、一冊二〇万円するんですよ」 馳知事はこれらの発言が明るみに出ると「事実誤認」を理由に直ちに撤回。その後は、発言のどの部分について事実誤認があったのかも 語らないまま、この件について堅く口を閉ざしたのである。 こんな具体的な話をしておいて「失言」?いえいえ、国民にとっては、オリンピックがいかに秘密裏にお金を動かしているかを知る「明言 」なのです。IOC委員一〇五名全員の、現役選手として、あるいは各競技団体の長として活躍する姿を、個々に収めたアルバムです。さ すが「おもてなし」を前面に出して招致活動を行っただけのことはあります。一人二〇万円ですから単純に見積もって二一〇〇万円です。 そんな高価なアルバムはまず見られませんから、サンプルを聖火リレーでつかったトーチのように展示すれば良かったのです。でもそうし ない所に国民に対する後ろめたさがあると思いませんか。 そもそも東京オリンピック二〇二〇に関わる費用については、今もって納得出来ないことが多い。立候補時に見積もった予算は七三四〇 億円。それが最終的には一兆六九八九億円まで膨らんだ。規模、演出を縮小して行ったにもかかわらずだ。大会関連経費まで含めると三兆 六八四五億円である。その多額の差額はいかようにして埋めることが出来るのか。考えただけでも恐ろしくなる。新型コロナウイルスの感 染拡大による一年延期しての開催、そして各競技は原則無観客という異例づくしの大会ではあった。現場に混乱が生じたことは理解出来るが 、大会関係者用の弁当三〇万食が廃棄されたほか、感染対策のマスクや医療用品も大量に廃棄されるなど資金面における管理の杜撰さが目 に余る。工事費の増額は必ず億単位。コロナ下であったにも関わらず、切り詰めてことを運んでいるようには感じない。まるでどんぶり勘 定だ。 馳知事の発言は、まさにその杜撰さをも示唆している。秘密裏にお土産代に一人二〇万円を使ったことも問題だが、それ以上に「官房機 密費」という名のもとに、いくらでも使えるお金があることが問題なのだ。何故なら税金でありながら、国民にはその全体像が全く見えな いからだ。 見えないと言えば、東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー選定を巡る問題も未だ闇に包まれている。例えば事件の中心人物 となっている高橋治之前理事。複数いる大会組織委員の中で、賄賂を受け取ったとされるのはこの人だけ。しかも一社につき千万単位の金 額を受け取っている。何故、この理事だけがこんな旨い汁を吸えたのか。組織委員会の各メンバーはそれなりに社会的地位を築いた人ばか りである。例えば招致活動で活躍した馳知事もその一人。政治家、財界人、アスリート等々幅広い分野から招聘されている。それらの委員 がスポンサーの選定に関わることなく、高橋前理事、あるいは電通の一存で決められていたとしたら、それは大会組織委員会の在り方が問 われることになってくる。だが、その組織委員会も昨年解散。裁判は続いているのに、我々が疑問をぶつける先はもうないのである。見事 な演出としか言いようがない。裁判における高橋前理事の「失言」を期待するしかない。 それにしても、KADOKAWAやAOKIホールディングス側が高橋前理事に渡したお金が惜しまれてならない。せっかくお金を使う のなら協賛金を増額してくれたら良かったのだ。少しでも国民の負担が軽くなれば、それは明らかな社会貢献だ。 二〇二五年には大阪万博が開催される予定だ。こちらも東京オリンピック同様、日増しに増えていく予算に国民感情はついて行けない。 こと「機運醸成費」三十八億円には驚かされる。政府は費用増額の原因を物価高騰に求め正当化するが、若者世代には「そこまでしてやる 必要があるのか」という声が広がる。今後、そのツケを背負うのはオレ達じゃないかというのがその理由だ。少子化の時代、政府はその場 凌ぎに税金を投入し国債を発行すべきではない。それよりも今流にクラウドファンディングを導入してみてはどうだろうか。政府案に対し 、有権者が直接忖度する。政府にも多少は国民の声が伝わるのではなかろうか。
2024.11.02
あえて福島に飛び込む 福島県双葉郡大熊町。太平洋に面する海沿いのこの町で、私は農業をしながら生活をしている。 作っている作物はキウイフルーツ。多くの人がキウイに対して南国フルーツのイメージを持っているようで、「福島で作れるのか」とよく聞かれる。確かに国内の主な産地は四国や九州など南西の方で、福島はキウイ産地としては北限と言える。しかし、私の思いつきでキウイを作り始めたという訳ではない。この町は、40年も前からキウイが作られていた、立派な産地であった。 大熊という町の名前を聞いてすぐにピンと来た方もいるかもしれないが、この町には2011年に事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所が立地している。キウイの「産地であった」と過去形にしたのは、先の原発事故によって、この町でのキウイの生産はストップしてしまったからだ。 あの震災の日からしばらく、テレビのニュースでは毎日、毎時間、大熊にある原発の姿が流れていた。私は当時、福島から遠く離れた横浜市内に住む小学校3年生だったが、テレビの中の人が、真剣な面持ちでその危険性を語る放射線、原子力という得体の知れない言葉に、漠然とした恐怖と不安感を抱いていた。一方で、その原発がある町でキウイを作っている人がいたことなど、当時は知る由もなかった。事故が起きた原発がある町、というイメージだけを、その時の私は持っていた。 震災の発生から9年が経過した2020年に、私は大学生になった。元々マスメディアの仕事に就きたいと思っていたため、大学生になったらその仕事に通ずる活動をしておいた方がいいという考えがあった。自分なりに色々考えた結果、小学校3年生から漠然とした興味と恐怖を持っていた原発事故にフォーカスしようと、私はその年から大熊町の方への取材を始めることになる。 その後色々と形を変えながらも、4年ほど大熊町に関わらせていただき、今ではこの町に住むようになったことで、私のこの町に対する見方は、少しずつアップデートされてきたと思う。 当初は原発事故が起きたテレビの向こう側の町と思っていた場所に、自分と同じように小学校に通っていた人や、自分の親のように仕事をしている人がいて、普通の生活、人々の営みがあったことを知った。この地に長く受け継がれてきた伝統芸能や、文化、産業があることを知った。何年もの時間をかけて育まれた美味しいフルーツがあったことを知った。当初原発があることしか知らなかった私は、取材と、この町での生活と、たまの飲み会を通して、町の方にたくさんのことを教えてもらい、この町の様々な面を認識できるようになってきたと思う。 そうして見る大熊町は、小さい頃の私がテレビを通して見ていたよりも、ずっと鮮やかだ。 ここまでの書き振りでも伝わるかと思うが、私の元々の出身は大熊ではない。大熊からは300kmほど離れた、神奈川県の横浜市に生まれ育った。親族や知り合いがこの大熊近辺にいたわけでもなく、縁もゆかりもない場所だった。両親共にサラリーマンで、農家の家系でもない。 実は今も、慶應義塾大学に4年生として所属しているが、その専攻は政治学で、農業の知識や経験を持っているわけでもない。まさに畑違いの農業に挑んでいる私のこれまでの歩みと、私の視点から見るこの地域の様子を綴っていきたいと思う。 ▼まずは私が生活している大熊町について、もう少し詳しく説明しよう。 福島県は東から浜通り、中通、会津と大きく三つの地域に分けられる。大熊町が位置する浜通りは、その名の通り太平洋沿いの地域で、常磐ものと呼ばれる日本で一番美味しい魚介類が食べられる場所として知られる。 大熊町では、町内を通り太平洋に注ぐ熊川で、毎年春先に鮭の稚魚が放流され、秋に海から上ってくるその成魚が、町の名物として人気を博していた。震災後は稚魚の放流がしばらくされなかったため、現在は遡上してくる鮭の量も少なくなっており、かつてのように立派な鮭が毎年登ってくる光景を、私を含め多くの人が心待ちにしている。 熊川の鮭に負けないこの町の特産品として愛されていたのが、梨とキウイだ。福島県全体としても、フルーツの生産が非常に盛んであるが、その中でも大熊町は知る人ぞ知る美味しいフルーツの産地であった。町のキャッチコピーは「フルーツの香るロマンの里」。今もそのフレーズと、町名産の梨とキウイと鮭を抱えたマスコットキャラクターが描かれた看板が、町の玄関口で人々を迎えている。 町一番の特産と言われた梨は、100年以上前から町内で栽培されていたとされる。幸水、豊水を中心に生産されていたようで、町民の方に話を聞くと、「大熊以外の産地の梨は食べられない」と多くの人がおっしゃるほどに、その味は格別だったと言う。先日お会いした東京のフルーツ店の方も、震災前の大熊の梨は特別美味しかったと口にされており、その味は全国区だったようだ。横浜に生まれ育った私は、残念ながらその梨を食べたことはなく、町の人から梨の話を聞くたびに悔しい思いをしている。 そんな自慢の梨に追いつけ追い越せと、震災直前の時期に勢いを増していたのが、キウイフルーツだった。100年以上の歴史を持つと言われる梨に対し、大熊町でキウイの栽培が始まったのは1982年と、震災からおよそ30年前のことであった。この町でキウイが作られるようになった背景を少し深ぼって説明したい。 新しい出会い そもそもキウイは、元々日本には自生していなかった作物である。ではどこが原産国なのかというと、意外に思う方も多いかもしれないが、お隣の中国なのだ。多くの方が、キウイといえばニュージーランドというイメージを持っていらっしゃるかと思うが、実は現在でもキウイの生産量、消費量ともに、中国が世界の半分近くを占めている。ただ中国は自国内での需要、消費量が莫大であるため、中国産のキウイが日本に渡ってくることはなかなかなく、国内で見るキウイの大半はニュージーランド産のものになっている形だ。ちなみに、単位面積あたりの収穫量では、ニュージーランドは中国の3倍近い数字を叩き出しており、生産性、生産技術では南半球の雄に軍配が上がる。 日本には、1970年代になってはじめて、キウイが持ち込まれたとされている。鮮やかな緑色で、他の果物にはない爽やかな酸味を持つキウイは、日本への導入当初はその珍しさもあって高値で取引されたと言う。 そんな一風変わった果樹に目をつけたのが、1970年代から80年代にかけて大熊町議会議員を務めていた、井上文男氏だ。当時の大熊町は福島第一原発の立地が決まり、その建設がひと段落した頃であったが、この町も元々は米農家が大半を占める、一般的な農村であった。そのため、1960年代に全国的にその傾向が現れ始めていたコメの生産過剰と、それに伴う米価の低下、減反政策の導入という課題に向き合う必要があった。この課題への解決策の一つ、コメに代わる新規作物として、まだ国内では珍しかったキウイを町の新たな特産にしようと、井上氏は考えたのである。 平成4年に発行された『大熊町農業協同組合30年史』にも、「健康食品として人気のあるキウイフルーツを、水田転作作物として当町に導入してはどうか、調査して欲しいと57年に町の議会から依頼があり、役場産業課が主体となって調査した結果導入することとなり、ただちにキウイフルーツ協会を設立して、60年より5ヶ月間に20haを栽培目標面積として、町の補助事業として取り組むこととなった」という記述がある。「町の補助事業として」という点が興味深く、実際に当時キウイ栽培を始められた方に聞くと、キウイ栽培にかかる設備投資や苗木の購入については、全額に近い形で町からの補助があったと言う。補助事業の詳細について記載された資料は現時点で見つけられていないのだが、町としてかなり力を入れてキウイの導入、産地化を目指していたことは確かだろう。 その町役場の情熱は、すぐに民間にも伝播していったようだ。1971年から毎月発行されている「広報おおくま」。その昭和57年7月号には、「大熊町キウイフルーツ生産組合栽培時次指導講習会開催される」という見出しの記事が踊っている。記事によれば、この年の3月に、町内で最初にキウイを育て始めた15名のメンバーにより、この組合が発足。同年6月半ばに当時の日本キウイフルーツ協会理事長の澤登晴雄氏を町に招いて、講習会が開かれたそうだ。澤登氏は、日本で最初にキウイの栽培を始めた方として、界隈ではかなりの有名人である。そんな大物を、発足からわずか3ヶ月の段階で大熊まで呼び寄せたところに、この組合を組織した15人のパイオニアたちの熱が感じられる。 この15人の中には、現在まで元気に暮らされている方もいらっしゃる。何人かには私も直接当時の話を聞くことができた。導入当初は、当然誰もキウイ栽培の方法など全く知らない中で、先述の澤登氏の農園をはじめ、全国各地のキウイ園への視察や研修に足繁く通い、各人が身につけた技術や知見を他のメンバーと共有しながら、町内の生産者全体で栽培技術を高めて行ったのだという。 当時も今も、国内のキウイ産地は四国や九州など西日本に集中している。北限の産地とも言われる大熊町では、他の産地にはない霜のリスクや、土壌特性、天候の違いなど、様々な困難があったというが、先人たちはそうしたハードルにぶつかる度に数えきれない努力と試行錯誤を繰り返してきたそうだ。 そんな黎明期から約30年、2010年の段階では、町内でキウイを栽培する経営体の数は25まで増え、その売り上げは1億円に迫るまでになっていた。「ビーナス」と名付けられた大熊産のキウイは、町内外で評判を呼び、贈答用としても多くの方が購入されていたという。1人の町議会議員と、15人の生産者から始まったキウイ特産化に向けた動きは、見事に結実したと言えるだろう。 ▼そんなタイミングで町を襲ったのが、2011年3月11日の震災と原発事故であった。
2024.11.02
~IDAとは一線を画す中国の発展途上国に対する融資の全体像~ 国際開発協会(以下、IDAという)関連法の改正法成立している。IDAとは世界銀行の関連団体である。主に低所得国向けに超長期で低利融資、もしくはグラントを提供している機関だ。同様の役割を持つ機関に国際復興開発銀行(IBRD)というものがあるが、そちらは中所得国を対象として長期融資を提供している。戦後の日本政府も新幹線網や高速道路網の整備の為にIBRDの融資を受けたことがある。それらの社会インフラ整備が進むことによって日本経済は高度経済成長を遂げたのだ。目覚ましい経済発展を遂げた日本は巨額の借入国から今では世界有数の資金供与国となっている。IDAは第二世銀と言われ、IBRDでは与信が付かないような貧困国をはじめとした発展途上国の社会資本への長期融資を行っている。 IDAに関する改正案は、IDAの増資計画に対して日本政府が約4206億円の追加出資を行うことを規定する法案だ。IDAは1960年に設立されて以来、3年ごとに増資を繰り返しており、今回は第20次の増資となる。前回の増資から2年しか経過していないが、新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックにより、ワクチンや医療提供体制を含む対応の支援の為のIDAの資金不足が見込まれた為に1年前倒して増資を行うことになったようだ。 日本は世界2位の出資国として枠組みを主導 今回の増資の計画とその枠組みの組成は日本が主導して行っている。昨年12月に日本が主催した最終会合でコロナ対策の支援規模を930億ドルとし、資金提供国から235億ドルを調達することで合意した。日本政府の負担額はこれまでの日本政府の出資比率を維持することを前提としており、3767億円を提供するとともに、最貧国の重債務に対する救援費用として438億円を追加で提供し、合計4206億円を予定している。 IDAの融資対象国は74ヶ国に上っている。通常の融資条件は40年返済、当初10年は元金を据え置き、金利は0.45%程度であるケースが多い。これに加えて融資残高の年0.75%の手数料が必要となる。 IDAの第20次の増資における日本の出資比率はこれまでと同水準を維持する方針だ。第19次の増資時の主要国の負担比率はというと、筆頭は英国で12%、続いて日本が10%、そして、アメリカが9.31%、ドイツが5.62%、フランスが5.06%、中国が3.72%、カナダが3.45%、スウェーデンが3.02%、オランダが2.93%などとなっている。名目GDPを参考にした出資比率からするとアメリカが少ないような気がする。逆にイギリスはGDP比で言うと圧倒的に大きな負担をしている。日本は2番目の負担比率であり妥当と言える。問題は中国だ。日本の約3倍のGDPを誇る中国がなんと日本の負担の1/2.5です。際立って少ない負担である。本来ならばアメリカ、中国、日本が主導して出資するのが適当であろうが、そのバランスは保たれていない。ではなぜ中国の出資は少ないのか。中国はIDAとは別に、独自の低所得国向けの融資を行っているからだ。 2020年において全世界的に深刻化するコロナ禍の中で、IMFと世界銀行は融資している73ヶ国を対象として返済支払猶予をG20に対して要請している。低所得国が十分なコロナ対策をとる為の人道上の理由と共に世界経済の回復を促進するための施策だ。この73ヶ国はIDAの融資先国とほぼ同一である。それに対してG20の一員である中国も他国と足並みを揃えて支払猶予を受け入れている。中国は拒否することもできたが、中国によって債務危機に陥ったと各国に指摘されることを避けたのだろう。このことは、IDAが中国無しでは債務危機に対応できないということを明らかにすることとなった。 中国の低所得国向け融資─G7の2倍 中国が独自に行っている低所得国への融資の残高は1030億ドルに達している。一方、世界銀行(IBRD、IDAを含む)の低所得国への融資残高は1157億ドルである。そのうち、G7の融資残高は571億ドル、中でも日本の融資残高が239億ドルなので、中国が1国でいかに巨額の融資を低所得国へ行っているかがわかる。中国の融資規模はG7と比べて約2倍、日本と比べて4.5倍に上っている。 中国はなぜ独自路線をとるのか。それは、単独での融資は中国に都合の良い発展途上国を恣意的に選別して融資できるからだ。 中国からの融資が大きい国はパキスタンとアンゴラである。パキスタンは215億ドル、アンゴラは157億ドルだ。中国から100億ドルを超える融資を受けているのはこの2カ国だけである。パキスタンとアンゴラが重視されるのは、両国が一帯一路および資源確保において欠かせない拠点になっているからだ。パキスタンはインド洋から陸路による中国への輸送を可能とする経済回廊の要である。アンゴラはナイジェリアに次ぐ産油国で、中国にとってはサウジアラビア、ロシア、イラクに次ぐ原油輸入先となっている。 中国の融資スタンスは独自の経済的な権益の確保にあるので世界銀行に比べて与信が緩い傾向にある。中国の融資先には返済負担率が非常に高い国が多くみられる。ジプチの負担率は37%、コンゴは29%、ラオスは27%、キルギスは21%、モルディブは20%となっている。世界銀行の融資先ではカーボンベルデが20%を超えているが、その他には負担率が20%を超えている国はない。 中国に依存している国は、一帯一路(キルギス、ジブチ)、南シナ海における領有権確保(ラオス、カンボジア)、資源確保(コンゴ共和国)、インド洋、太平洋への進出(モルディブ、トンガ)といった外交戦略において重視されている国々である。これら中国依存国のリスクが「高い」、乃至は「窮迫」と評価されるのは、債務の持続可能性よりも外交上の利益を優先する中国と新たな債権国として存在感を高めている中国を積極的に利用しようとする低所得国の思惑が一致したからである。 中国はG7各国を含め世界的に疑心暗鬼を招いてきた。返済負担率を無視した低所得国への融資を自国の利害の為に行って来たからだ。中国は融資によって世界各国に影響力を強めてアメリカに対抗する勢力圏の構築を目論んでいるとされている。だが、中国が強権的に融資先国を従えるような振る舞いは意外にも見られない。中国に依存する国も利害関係が一致することからこそ依存しているのである。それぞれの国が主体的に国家運営を行っているのは間違いない。 中国は自国の飛躍的経済発展による資金力を背景に一帯一路をおし進めてきたわけだが、今後もその路線で行くのかというとそう容易いことではないようだ。他国への融資によって急激な資金力の低下を招いていることと中国国内でのインフラ投資が一巡し、且つ米国をはじめとした先進国との貿易摩擦が拡大していることから国内の景気は失速しがちな状況となっている。 中国は決して発展途上国の盟主ではないのかもしれない。中国は自らを「開発途上国」とする一方で、欧米諸国を源流とする価値観や制度を代替しうる「大国」としてきた。つまり、国際社会における立ち位置を都合よく使い分けてきた。中国は、「中国モデル」を欧米諸国に追従しない経済発展の道としながらも、それが具体的にどのようなものであるのかについては必ずしも明らかにして来なかった。中国は確かに長期にわたり安定的な成長を続けて来たが、政治、経済、社会などの初期条件が異なる国に、その経験をどのように移植すれば成功するかということは何も示していない。そればかりか、中国は深刻化するアメリカとの対立、潜在成長率の低下、そして、最近の債務危機においても開発途上国を満足させる対応が出来ていない。中国の求心力が低下するのは当然とことと言える。 他方、米国のバイデン大統領は同盟国との同盟強化を急いでいる。中国は経済回復のペースが速く、G20のなかで唯一プラス成長が期待出来る国だ。中国は発展途上国への積極的な融資を再開する体制が整いつつある。ただし、新型コロナウイルスの蔓延による途上国の経済状況の悪化がそれを阻んでいる。 日本はこれまでの路線を堅持し、世界銀行及びIDAにも積極的に関与を強め、中国の権威的かつ高圧的な外交姿勢に対して頂門の一針となるよう期さなければならないのではないか。
スピルバーグ渾身の黙示録 「未知」という言葉がある。未だ(誰も)知らないこと・ものを表すこの言葉には無限の可能性が秘められており、エンターテインメントにおいては格好の題材だ。 しかし、まだ知らないものを生み出し、それを人々に表現することは本当に可能なのだろうか。 当然といえば当然だが、我々の知覚の中にあるものは「未知」ではなく、「既知」の物として扱われ、もし創作物の中で「未知」を扱う際には、我々は「既知」の言葉や道具を用いてそれを表現しなければならない。「未知の見た目」なのか、「未知の動き」なのか、またはそれ以外の要素か。 クリエイターは、自身知識の内に在る物を使って、知識の外にある物事を表現えざるを得ないという、強烈なジレンマと向き合わなければならない。その中で、今日においても世界的なトップクリエイターとして活動するスティーブン・スピルバーグは、一九七七年公開の『未知との遭遇』で、彼なりの「未知」を表現することに成功している。今回は『未知との遭遇』を題材に、彼が「未知」を見せるにあたって映像に込めた工夫を考える。 ある日、一九四五年に行方不明となった筈の戦闘機が砂漠で発見される。当時と寸分違わぬ姿で発見されたそれらは、調査団を困惑させた。時を同じくして、アメリカでは謎の発光体が目撃され、大規模な停電被害が発生していた。主人公ロイ(リチャード・ドレイファス)は発光体(UFO)によって奇怪な現象に巻き込まれ、UFOの放つ光を浴びて以降、狂気的なまでにその存在に固執する。少年バリー(キャリー・ガフィ)とその母親ジリアン(メリンダ・ディロン)も同様の現象に遭遇。UFOの光を浴びた者は全員、脳内に山のような物体のイメージが焼きついて、クリームや絵画でそれを描こうと試みていた。UFO学者ラコームらは宇宙からの信号を発見し、解析を行う。信号が地球の座標であることを突き止めた彼らは、その座標にあるワイオミングのデビルズタワーにて宇宙人との本格的な接触を試みる計画を立てた。ロイとメリンダは、頭の中のイメージがデビルズタワーである事を確信し、自らの求める答えがあるとそこへ向かうこととなる。多数のUFOが現れ、彼らと交信が成功したかに思われた矢先、巨大な母船が出現。そこから現れたのは、行方不明になっていた地球人の姿だった。彼らとの再会に驚くのも束の間、中から母船の主が出てくる。ロイは何かに惹かれるように彼らと共に船内へと乗り込み、母船は地球を去る。 「光」の効果 本作の「未知」の存在を表す上で、真っ先に語るべき要素は「光」の効果であろう。明暗を意図的に使用することによって、視覚的なインパクトや、狙い通りの感情を引き起こしたりするように、光が映画の中で重要な役割を果たしている例は非常に多い。とりわけ本作では、光の強弱が主人公や観客に大きく作用していることは疑いようがない。ここでは、頻繁に用いられた「光」の働きから見出せる「未知」と「既知」の境界について分析していく。 まず、本作において、UFOが現れる際の時間帯に注目したい。実は、怪奇現象が起こる時間帯は昼夜を問わないのに、UFOそのものの存在が認識される時間帯は、極端なまでに夜に限られる。しかも、街全体が停電に陥るなど、人工的な光すら遮断される場合がある。灯火の無い暗闇に現れたUFOは、その強力すぎる光によって、見た人々の顔を日焼けさせてしまう訳であるが、何故それ程までの光を用いらなければならないのかという疑問が拭えない。最後にUFOの母船が出現するまで、UFOの詳細なフォルムは確認するのが難しい。暗闇の中で、我々の目には刺激が強すぎるレベルの光を発しながら移動していくものだから、ぼんやりとした輪郭くらいしか捉えきれないのだ。私はここに、人類と「未知」の線引きを作っていたのではないかと考える。UFOの眩い光は、その眩しさ故に目を瞑らざるを得ず、人類の知覚では入りきらない存在、つまり「未知」の存在を示唆しているに他ならない。いわば、光の強さで「未知」の領域の絶対不可侵性を表現しているのである。 強い光を不干渉や不可侵の象徴と位置付けるならば、弱い光はその逆の受容や許容といった、繋がりの意味を持つ。終盤、音による交信を試みる際のUFOの光量は、序盤に比べて明らかに目に優しいものとなっている。目を覆わざるを得なかった人類が、UFOの集団を凝視しながら交信を試みる姿からも、UFOと人類が融和しようという姿勢が窺える。「未知」が「既知」のものとして、人類の知覚に入り込もうとする瞬間がカメラに収められている訳である。一連の集大成とでも言おうか、巨大な母船が姿を表した際には、その詳細なフォルムを観客ははっきりと目に入れることができる。光が視界の邪魔をすることがなく、初めて最初から「未知」を人類の知覚で認識できるシーンなのである。 一方で、UFOの扉が開いた際には、その内部はまたも強力な光によって見ることができなくなっている。 このことから、人類とUFOは、表面的な相互理解に成功したものの、まだ内部に入り込むほどの深い交流に至っていない関係であることが推察される。内部の光によって、出てきた人類は最初、シルエットのみでしかわからない。 段々と光の弱い場所に行って姿が確認できるという過程もまた、「未知」から「既知」へのシークエンスを順当に踏んでいる。 主人公のロイが光の船内に入り込むのは、人類の「既知」から作り出された「社会」から解き放たれ、その外側の「未知」へと旅立つといった意味が内包されている。 『未知との遭遇』とは、我々の手に届かなかった「未知」が「既知」の領域に降り立ち、人類が新たな知覚(知見)を手にすることが出来る過程を丁寧に描いている。 光彩効果とは他にもう一つ、カメラワークについても言及しておきたい。特に登場人物の顔を写した際のズームインとズームアウトの使い分けは、人が「未知」に触れるその瞬間の没入感を際立たせている。 まずはズームインについてだが、これはかなり意図が明確と言える。被写体を大きな情報から小さな情報へと集中させていくことで、その小さな被写体の意識や感情と、観客のそれを一致させていこうとする動きだと考えられる。 注目してもらいたい対象以外の雑多な情報を排除する事によって、よりわかりやすく明確な心的描写を観客に見せることが出来るのだ。一方でズームアウトは、「個」に視点を注目させたい動きのズームインとは逆で、「集団」だとか「多数」を見せたい時に用いると考えるのが妥当だ。 本作の主人公ロイは次第に社会から爪弾きにされてしまうように、普通とは違った人間として描かれている。 このことから考察すると、「普通の集団」のなかに一人それとは違う人間を置き、全体をカメラに納める事によって、より一層その異質さや違和感が際立つ。つまり、ズームアウトという手法は、「集団全て」を写したいのではなく、その中にいる「個」を強調せんがために行われている。 一見真逆の方法でも、映したいものは一貫されており、なおかつカメラという機械知覚ならではのアイデアを効果的に使っている良い例だ。 ここまで光の使い方やカメラワークについてとりあげ、いかにして本作の「未知」が生み出されているのかを述べたが、実のところ、最終的に出てくるUFOや宇宙人の姿は、これまで様々なメディアで数多く取り扱われてきた見た目であり、我々観客が「未知との遭遇」体験をしているわけではない。 あくまで登場人物にとっての「未知」であり、その衝撃や混乱、冒険をエンターテインメントとして我々が鑑賞するという形になっている。 ただ、その「未知である」という体を最後まで崩すことなく物語を進め、一種のスペクタクル的な要素も含めたエンターテインメント作品として昇華させてしまうその手腕こそ、スピルバーグが映画界のトップに座する理由だろう。
2024.11.02




