高市政権の外国人政策強化

10 月 21 日、高市早苗自⺠党総裁が総理大臣に任命された。我が国初となる女性首相の誕生だ。同日に発足した高市内閣は、自⺠党と日本維新の会の「連立政権」として報じられている。 厳密に言うと、「閣外協力」と「連立政権」はイコールとは言い難いが、20 日に高市総裁と維新の会の吉村洋文代表、藤田文武共同代表が署名した文書は「連立政権合意書」というタイトル。今後は、閣僚を内閣に送り込まない閣外協力であっても連立政権であるという理解が浸透していくだろう。 高市内閣では、女性閣僚の登用が注目されていた。蓋を開けてみると、片山さつき財務相と小野田紀美経済安保相の二人にとどまったが、松島みどり元法相が総理補佐官に起用された。 外国人政策担当の松島みどり総理補佐官 出典:首相官邸公式サイト 松島総理補佐官の担当は外国人政策。小野田経済安保相も「外国人との秩序ある共生社会推進担当」を兼ねている。高市首相の肝入り案件である「外国人対策」の司令塔を首相側近で固めてきたところに、高市首相の本気度が伺える。 自維の「連立政権合意書」も、外国人政策として、外国人に関する違法行為への対応と制度基盤を強化して「ルールや法律を守れない外国人に対しては厳しく対応する」ことを明記している。 その他にも、対日外国投資委員会(日本版 CFIUS)の創設や、外国人および外国資本による土地取得規制を強化する法案も、来年の通常国会での審議入りが目指されている。高市政権は、我が国における「外国人政策」の転換点となるだろう。 (北島純・社会構想大学院大学教授)
政治•経済

2025/10/23

最新記事

「聖書と経営」を実践した  「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像  「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第3回 早川 和廣●ジャーナリスト
「聖書と経営」を実践した 「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像 「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第3回 早川 和廣●ジャーナリスト

(写真 ライオンHPより引用 牛乳石鹸の商標写真) 創業者の「ふるさと」柿崎  「ライオン」の本社ロビーには、創業者を紹介するコーナーが設けられている。創業者の顕彰は、本来、企業「ライオン」の仕事だが、今回『小林富次郎伝』の翻訳・翻案を進めるのは、ライオンとの個人的な“縁”との思いからである。その意味では筆者なりの創業者へのオマージュ並びにライオンへのエールのようなものである。  そのライオンの創業者が「ふるさと」と語っていたのが、新潟県である。ところが、新潟出身の著名人を紹介した『新潟県が生んだ100人』(ふるさと人物小事典)など、一連の新潟関連書籍には、小林富次郎の名前はない。2016年に出版された小松隆二著『新潟が生んだ七人の思想家たち』(論創社)に、相馬御風、小川未明、大杉栄らとともに取り上げられている程度である。なぜ、新潟を「ふるさと」と称するライオン創業者を、新潟県並びに新潟のメディアが取り上げようとしないのか、いささか不思議な印象を受けたものだ。そんなモヤモヤがあって『小林富次郎伝』を手に取ったわけである。伝記は葬儀の様子が詳しく描かれている一方、遺体が火葬場に運ばれ葬式を終えた後、遺骨がどこに運ばれ、埋葬されたのかについては記されていない。以前、ライオン広報部(コーポレートコミュニケーションセンター)に問い合わせた際にも、創業者がどこに埋葬されたのか、いわゆるお墓については「把握していない」との回答があった。  創業者はクリスチャンであるが、小林家の菩提寺・柿崎の光徳寺には、死の前年に建立された「堅忍遺慶の碑」がある。「堅忍遺慶」は耐え忍んだ、その後に慶(よろこ)びが遺(のこ)るとの意味であり、創業者の人生を象徴する言葉とのことである。浄土真宗門徒として生まれ、クリスチャンとして葬儀を行った創業者が、死の一年前、小林家の菩提寺に、自らの人生を象徴する言葉を刻んだ石碑を建てたのは、どのような思いであったのか。光徳寺の篠原真住職の話では、小林家の先祖の墓には、創業者の遺骨は埋葬されていないという。とはいえ、毎年、創業者の命日にはライオン幹部がお墓参りにやって来るとのことである。

政治•経済

2025.01.18

「聖書と経営」を実践した  「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像  「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第2回 早川 和廣●ジャーナリスト
「聖書と経営」を実践した 「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像 「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第2回 早川 和廣●ジャーナリスト

(写真はライオンHPより引用 「ライオン最古のカタログ」) 「聖書」を抱いた企業人  新一万円札の肖像画は、日本の資本主義の父と言われる「渋沢栄一翁」になった。電子マネー化が進行する中での新札の発行、特に渋沢翁の登場は、マネー資本主義の限界が明確になっている現在、最後の一万円札になるとの予測もある。  渋沢翁の今日における価値は、「論語と算盤」という道徳と経済を両輪とする成功モデルを、明治期から推進・展開して、1000社以上の株式会社、社団・財団などの事業団体を誕生させていることだ。その渋沢栄一の「論語」の代わりに「聖書」をビジネス展開の指針としたのが、ライオン創業者の小林富次郎である。クリスチャンの彼は「算盤の聖者」とか「聖書を抱いた経営者」と言われた。  小林富次郎は幕末の風雲急を告げる1852年(嘉永5年)2月に生まれ、1910年(明治43年)12月に58歳で亡くなっている。死の1年後の1911年(明治44年)11月、創業者の遺徳を讃えるとともに、その精神を将来に伝えていくため、『小林富次郎伝』(初版)が当時のライオン歯磨株式会社から出版されている。さらに、創業者の生誕100年祭を執り行った1951年(昭和26年)には、その数々の業績を忍ぶとともに「ライオン」の将来の発展に資するものとして、また知己友人の座右に供えてもらおうと『小林富次郎伝』第三版(非売品)が出版された。筆者の手元にあるのは、同年4月に出版された第三版である。加藤直士著『小林富次郎伝』(初版)に、新たに中尾清太郎氏編集による「聖書日々実行訓」(後に改題して「先代の言葉」)を付録に加えて、出版されたものだ。当時の創業者が、いかに世間の注目を集めていたかは、カトリック青年会館で行われた盛大な葬儀の様子とともに、多くの人が見送る葬列を収めた映画フィルムが2011年、国の重要文化財になっていることでもわかる。とはいえ、歯磨き・洗剤・目薬等の企業「ライオン」を知らない日本人は、まずいないはずだが、創業者について知る人は少ない。ほとんど、忘れられた存在である。(つづく)

政治•経済

2025.01.17

街道の宿場町「飯盛り女」が吉原の客を奪った
街道の宿場町「飯盛り女」が吉原の客を奪った

吉原の競争相手は、岡場所だけではない。日光街道を除く主要4街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道)の江戸の出入り口に当たる宿場町もまた、遊女の集まる場所だった。『べらぼう』の劇中、田沼意次に「宿場を栄えさせるのは何だ?」と問われた蔦重が「女とバクチです」と応じた重要なポイントである。 幕府は「飯盛女」と呼ばれる女性を、そこの旅籠1軒につき2人置くことを許可した。宿場の奉公人という名目で客と食事をし、その後に同衾する女性のことである。宿場では幕府の書状や荷物を取り次ぐのに人足や馬の経費がかかるため、それを補っていた。 品川宿は日本橋から始まる東海道の最初の宿場町。実は格式が高く、揚げ代は4ランク(上から大見世、中見世、小見世、切見世)ある吉原の遊女の小見世より高額だったという。最盛期には500人もの飯盛女がいた。吉原のガイドブック『吉原細見』に倣った『品川細見』も発行されたという。 甲州街道の最初の宿場が内藤新宿、四谷新宿とも言い、現在の新宿1~3丁目付近の新宿通り沿いに旅籠が並んでいた。最盛期は品川並みの500人もの飯盛女を抱える隆盛ぶりだったという。同様に奥州街道には千住、中山道には板橋が同じ役割を果たした。いずれも現在のその街の繁華街などにその名残を残していると言えよう。 岡場所に宿場町。こうした安価で地の利もある競争相手に、18世紀後半の吉原は押され気味だった。吉原で生まれ育った蔦重は、ある意味一心同体で危機感を共有していたに違いない 「ライバルに押されている吉原の力になろう」と考えた蔦重は、まず何から始めたのか。(つづく)  

連載•小説

2025.01.16

障害者虐待が相次ぐ 2023年度は過去最多の3477件
障害者虐待が相次ぐ 2023年度は過去最多の3477件

 全国の自治体が2023年度に受けた障害者虐待に関する通報・相談件数が、過去最多の1万5590件(前年度比2836件増)に上ることが、厚生労働省のまとめで分かった。実際に虐待があったと認定されたケースも過去最多の3477件(同398件増)で、障害者の虐待が後を絶たず、深刻化している実態が浮かんでいる。 ▼2012年から通報義務 障害者の虐待防止や家族ら養護者への支援などの施策を促進するため、2012年10月に施行された障害者虐待防止法により、虐待を受けている可能性がある障害者を発見した人には、自治体に通報することが義務づけられた。厚労省は、自治体への通報・相談件数をまとめ、毎年公表している。 通報・相談件数や虐待認定されるケースは年々増加しているが、2023年度に過去最多に伸びたのは、障害者向けグループホーム運営会社「恵」による組織的な食材費の過大徴収問題の影響が強かったとみられている。  通報・相談件数のうち、加害者別でみると、家族ら養護者が9972件、施設職員が5618件だった。虐待の類型では、殴る蹴るなどの「身体的虐待」が2162件と最多で、怒鳴る無視するなどの「心理的虐待」は1302件、必要な金銭を渡さないなどの「経済的虐待」は473件、食事を与えないなど世話を放棄する「放棄・放置(ネグレクト)」は337件、性的な行為を強要するなどの「性的虐待」は183件と続いた。被害者とされたのは4641人で、このうち男性2人は、父親による身体的虐待や、施設でのネグレクトによって亡くなったという。 ▼虐待で死亡も厚労省は詳細明かさず 一方で、虐待により死亡に至った2人について、厚労省は「障害者虐待防止法は、件数を公表するよう規定しているが、個別の施設名や詳細を公表することは定められていない」(厚労省関係者)として、施設名や自治体を含む詳細を明らかにしていない。  ただ、虐待で死亡するということは、事件性が高いのは明らかだ。さらに、同じ施設で過去にも死亡事例がないかなどを検証する上で、施設名など詳細な情報公開が重要なのは言うまでもない。「法律」を壁にし、詳細を明かさない厚労省の姿勢は不誠実ではないか。そもそも、公表することが定められていないとはいえ、「公表してはならない」とも定められていないわけで、公益性公共性の高い情報を発信するのが行政省庁の務めのはずだ。  障害者虐待は相次いでおり、深刻な社会問題だ。再発防止に向け、施設名の公表による牽制や啓発の必要性を求める声も根強くある。単純に件数を公表しても、社会の関心を集めにくく、施設や養護者側に対する意識改革にもつながりにくい。厚労省はせめて死亡事例については詳細を説明するなどし、福祉行政を担うその責務を果たすべきだろう。  

「聖書と経営」を実践した  「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像  「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第1回 早川 和廣●ジャーナリスト
「聖書と経営」を実践した 「ライオン」 創業者 小林富次郎の実像 「聖書を抱えた経営者」の広告戦略と社会貢献活動 第1回 早川 和廣●ジャーナリスト

(※写真はライオンHPより引用) 地球は生命体である。「ガイア仮説」を持ち出すまでもなく、地球はわれわれ人類と同じように、命があるとともに、様々な活動をしている企業も同様であるが、「企業の寿命30年説」が、一時流行ったことがあったように、100年企業はそうは多くない。 人に限らず、伝統文化が血となり肉となるのは、最低3代、100年近くは要することを思えば、ライオン株式会社は典型的な100年企業の一つである。 100年企業とサスティナビリティ  ちなみに、100年企業の条件とは、いろんな要素があるとはいえ、ライオン創業者が実際に示したように、まずは従業員を家族として大事にする「ファミリー企業」であること。そもそも「明確な理想、企業理念」があって起業し、その目的にあった企業体であること。そして「創業者の思想と信念」が、常に経営に息づいていることである。それは流行りの言葉にすれば「サスティナブル経営」ということになるが、企業価値という面からは、単純に歴史が長くサスティナビリティ(持続可能性)があればいいわけではない。社会にとって有用で、必要とされ価値ある存在でなければ、存続する意味がないからだ。「憎まれっ子、世に憚る」というが、悪徳企業が大きな顔をし、あるいは公序良俗など無視して、巨利を独占する今日の〝勝てば官軍〟〝万事カネの世の中“であればなおさらである。(つづく)  

政治•経済

2025.01.16

過労死防止推進法 10年経過 悲劇後絶たず 遺族は対策見直し願う
過労死防止推進法 10年経過 悲劇後絶たず 遺族は対策見直し願う

「過労死等防止対策推進法」の施行から10年が過ぎた。防止策を国の責務と定め、法律で「過労死」という単語を初めて使った同法。2014年11月に施行されて以降、長時間労働の規制など労働環境の改善化は進みつつあるが、激務による悲劇は後を絶たない。実効性のある対策強化が必至で、遺族も過労死の撲滅を訴えている。 ■過労での精神疾患が増加 「今年は過労死防止法が施行されて10年になりました。娘が亡くなる前年の2014年11月1日、大切な家族を過労で失くした遺族の方々のたゆまぬ努力によって過労死防止法が施行されました。その後、働き方改革が叫ばれる中、残業時間の上限が定められ、労働環境の改善が進んだかのように言われますが、今でも仕事が原因で病気になる人や、過労死する人がいます」 昨年12月25日、大手広告会社・電通の新入社員だった高橋まつりさんが24歳で過労自殺してから9年となったことを受け、母親の幸美さん(61)は公表した手記でこう思いをつづった。幸美さんは最愛の娘を亡くしながら、過労死の撲滅を願い、対策を議論する国の協議会委員も務め、各地で啓発に向けた講演会も開いている。 国の対策は進むものの、過労によるストレスなどで精神疾患を発症する人は後を絶たず、2023年度は過去最多の883人(うち自殺・自殺未遂が79人)が労災認定を受けているという。 幸美さんは手記でこうした実態にも触れ、「特に精神疾患の労災請求は毎年増えて、娘が亡くなった年の2倍以上になっています。国は過労死対策に何がたりないのか。どうしたら過労死がなくせるのか。私たち遺族の意見を本気で聞いて、対策を見直してほしいです」と強調した。 ■生きていれば「入社10年目」の高橋まつりさん  24歳という若さでこの世を去ったまつりさん。生きていれば、今年度は「入社10年目」だったという。幸美さんは手記で愛娘への思いを巡らせ、こう述べた。 「同期入社のみんなは『入社10周年同期会』をしたそうです。在職中の人も退職した人も一緒でした。 もしまつりが生きていたら、参加していたかもしれません。10年目の社員として、後輩社員のロールモデルになれるように頑張っていたかもしれません。やりがいをもって生き生きと働いて、休日には大好きな人たちと過ごして、充実した人生を生き、将来に夢を描いていたかもしれません。『あんなに頑張って生きていたんだから、絶対に幸せになってほしかった』そう思うと悔しくてたまりません」  何年経過しようが、遺族の悲しみや悔しさは晴れることがない。企業や国、自治体は、効果的な対策を推進していき、国民の意識改革も図っていく必要がある。 「まつりと同じように苦しんで亡くなる若者がいなくなるように。働く人のいのち。若者のいのち。未来の子どもたちを守りたい。それが今の私の願いです。まつりのいない9年もまつりと共に歩んだ9年でした。誰もが安心して働き、誰もが希望を持って人生をおくれる国になるように願い、まつりと共に力を尽くして参りたいと思います」 幸美さんの切実な思いだ。悲劇を繰り返してはならない。  

社会•事件

2025.01.15

JICAが懲戒処分を1年以上「隠蔽」ODA情報漏えい職員
JICAが懲戒処分を1年以上「隠蔽」ODA情報漏えい職員

 2025年元旦早々、日本が世界的に高い実績を誇る政府開発援助(ODA)事業での大不祥事が発覚した。昨年にODAの実施機関である独立行政法人「国際協力機構(JICA)」の職員が、フィリピンでの改修事業を巡る入札で業務の見積額など秘密情報を漏えいしたとして停職1か月の懲戒処分を受けていたことが読売新聞のスクープで発覚したが、実はJICAがこの処分を1年2か月にわたり公表していなかったというのだ。秘密情報の漏えいに続き、処分の長期間にわたる「隠蔽」が、再び読売新聞の元旦スクープで明らかになったが、JICAに反省の姿勢はみられない。 ▼行政省庁は処分をその都度公表 読売の報道や外務省関係者によると、日本の円借款で実施されたマニラ首都圏内の都市鉄道「MRT3号線」の改修工事事業を巡り、JICAの男性職員が2018年、業務の見積額などの秘密情報を東京都内の建設コンサルティング会社の社員に漏らした。漏えいの疑いについて調査を進めていたJICAは、職員による情報漏えい行為が、JICAの就業規則違反にあたると認定。2023年5月には、この職員を 停職1か月の懲戒処分とした。 だが、JICAがこの処分を公表したのは、それから1年2か月近く経過した2024年7月8日。一般的に行政省庁は停職以上の懲戒処分があれば、処分日に随時公表しており、JICAもJICAはみなし公務員である職員の懲戒処分について、就業規則で「原則として、処分の都度、公表する」と規定している。 JICAは①処分時は漏えい先企業への照会が完了していなかった②調査内容の取りまとめや外務省への報告などに時間を要した――と釈明しているようだが、そもそも民間企業への照会や、調査内容の取りまとめなどに「1年2か月」もの期間を要するのには大きな疑問で、一体どんな調査をしていたのかも不透明なままだ。 ODA事業に参入しているある都内のコンサルタント会社幹部は「ODAで秘密情報の漏えいは前代未聞。日本で言えば官製談合のようなものであり、JICAとしては、処分を公にしたくなかっただけではないか」と指摘する。 さらに、「漏えい先企業への照会が完了していない」ということは、まだ漏えい問題に関する調査が継続中であり、その時点で処分したJICAの対応も不可解だ。 ▼説明責任果たせ そもそも、JICAは昨年7月8日に処分を公表はしたものの、職員の所属部署や年齢、性別すらも明かさず、ホームページ上で短く「調達手続きに関する秘密情報を漏えいした」と説明するのみにとどまり、情報公開に後ろ向きな姿勢が顕著だ。 JICAのホームページをまめにチェックしているメディアもないのか、この処分は報じられないまま、昨年10月に読売の報道でフィリピンのODA事業を巡る漏えいだったことなど詳細が明らかとなり、政府は釈明会見に追われた。 JICAはこれだけお粗末な対応を続きながら、1年2か月にもわたる処分の「隠蔽」疑惑についても一切詳細な説明をせず、苦しい言い訳に終始している。発展途上国の支援が目的で、日本が参入してから昨年で70年の節目を迎えたODA。実施機関であるJICAは、改めてその責務を自覚し、理事長自ら表に出て謝罪会見を開くなど説明責任を果たすべきだ。  

深川、根津、赤坂…遊郭・吉原のライバル「岡場所」とは
深川、根津、赤坂…遊郭・吉原のライバル「岡場所」とは

 大河ドラマ『べらぼう』の舞台となった1700年代後半唯一の公的な遊女町だった吉原にはあちこちに競争相手がいた。非公認だから取締りの対象だった、というのはタテマエで、高額の遊興費がかかる吉原の得意客はもっぱら高位の武士階級や大手の商人など富裕層。一般の町民や中下級の武士には手が届かない。   加えて、現在の人形町から江東区千束という不便な場所に移った吉原は、営業も夜のみだったことも客を選んだ理由の一つだった。   実は、こうして吉原が取りこぼした需要の受け皿となる場所が、江戸にはいくつもあった。無論、非公認なので幕府は適度に取り締まりはするが、完全には潰さずに黙認し、場所代を徴収していたのだ。   まず、岡場所と呼ばれた非公認の遊女場である。特に盛んだったのは深川。運河が通って舟の便がよかったため、客は舟で出入りし、船頭がしばしば遊女の手配などを行っていた。ちょうど現在の永代橋から富岡八幡宮に至るあたりで、中町、土橋、あひる(佃新地)、新地、石場、櫓下(やぐらした)、裾継(すそつぎ)という深川七場所が知られていた。   客は妓楼ではなく料理屋に遊女を呼び出し、ひとしきり飲み食いした後でその奥座敷に入る。深川の料亭がよく知られているのはその名残であろう。   現在の文京区根津神社の門前(池之端から不忍通り沿い)は、「岡場第一の遊里」根津として栄えた。徳川家の菩提寺・寛永寺の門前で栄えた遊女場・上野山下は、現在のJR上野駅構内から駅前広場近辺だった。また音羽も護国寺の門前町として遊女たちが集まり、赤坂は当時ホタルで有名だった溜池の周辺に御茶屋が並んだという。(つづく)

連載•小説

2025.01.13

「アベノミクス」を総括できない  石破政権の錯誤と展望なき施策  政権交代もなく「脱安倍」も進められない日本の暗澹④  高野 孟 ●ジャーナリスト
「アベノミクス」を総括できない 石破政権の錯誤と展望なき施策 政権交代もなく「脱安倍」も進められない日本の暗澹④ 高野 孟 ●ジャーナリスト

「アジア版NATO構想」と核共有  3本柱の第3は、外交・安保政策に関わる分野である。この面での安倍政治の最大の遺産は、2015年の集団的自衛権の解禁を盛り込んだ新「安保法制」である。これは原理的に言うと、米国が自分の勝手な都合で戦争を始めたという場合でも、同盟国=日本はそれを我が事と受け止めて米軍と肩を並べて戦うことを義務化するということで、それを担いうる自衛隊とするための大軍拡路線も採用された。野党連合としてはこれに歯止めをかけようとするのは当然だが、石破であっても、防衛族の大物で軍事オタクとも言われるほどの専門知識も蓄えているはずで、それなりに合理的な再検討に着手するのではないかと期待された。しかしその気配はなく、彼が持ち出したのは「アジア版NATO構想」と「核共有」だけだった。  「核共有」は、ドイツなどNATO内の非核保有5カ国がすでに導入しているもので、米国の戦術核を各国領内に予め配備しておき、有事の際にそれを使用することになった場合は米国の指示と承認の下、各国の空軍機がそれを搭載して核攻撃任務に就くという制度。賛成論の立場からは、これによって米国の「核の傘」の信頼性が増し、敵に対する抑止力が強化されると主張されるが、欧州にも根強い反対論の立場からは、1950年代に米ソの核戦争危機が切迫していると考えられた頃の時代遅れの考え方で、核軍縮努力の一環として廃止すべきと主張されている。安倍が晩年にこれを検討すべきだと言ったのに対し、防衛研究所の新垣拓主任研究官は「NATO の抑止・防衛政策に沿ってテイラーメイドされた制度で……地政学的な条件や歴史的文脈が異なる別の地域にそのままのかたちで援用することは難しい」と結論付けている(同研究所コメンタリー第211号)。いずれにせよこの部分は、石破の安倍追随でしかない。  アジア版NATO構想は、安倍の「QUAD(米日豪印4カ国)」軍事同盟論をさらに膨らませたもので、要するに主として中国の台湾侵攻を念頭に置いてQUADだけでなく東南アジア諸国も結集して「米英同盟並みに強化された日米同盟」を中核とした壮大な軍事同盟を築こうという考え方である。これは1950〜60年代前半頃に米国の軍幹部やシンクタンクの学者などから盛んに提唱された「PATO(太平洋アジア条約機構)」構想の焼き直しで、当時すでに米国自身の中から「多様な利害と発展段階の国々を1つにまとめて米国が率いるなど到底無理」という判断があり、「アジアは欧州とは違って、米韓、米日、米比、米豪NZなど個別条約の束で守るのが合理的」と結論が出た話で、なぜ石破がこんな古色蒼然たる冷戦時代の遺物を今頃弄ぼうとするのかはほとんど謎である。実際、この考え方が9月27日に米ハドソン研究所のサイトに発表されるとすぐにインドのジャインシャンカル外相が「インドは日本とは異なり、他国と条約による同盟関係を結んだことがなく、そのような戦略的な枠組みは考えていない」と明言した。あるいは、シンガポールのシンクタンクISEASが今年4月に発表したASEAN10ヵ国の識者を対象とした調査では、ASEANが中国か米国のどちらかと同盟を結ぶことを余儀なくされた場合、「中国を選ぶ」とした人が50・5%で、昨年の38・9%から大幅に増えて初めて5割を超えた。石破は軍事オタクかもしれないが外交オンチで、このようなアジアの国々の心情などさっぱり理解できていないことが分かる。こうして、この得意とされる分野でも、石破は安倍政治の弊害を乗り越えていくだけの知力・見識に欠けていることを早くも証明してしまった。  すでに気の早い週刊誌は、「石破では来夏参院選は戦えない」という声が党内に充満し年内か年明けにも政変が起きると予測するが、その時にも我々は「ならば誰が『脱安倍化』を完遂できるのか」という座標軸で事態を見ていく必要がある。

政治•経済

2025.01.10

遊郭・吉原は風俗+社交サロン+流行発信地
遊郭・吉原は風俗+社交サロン+流行発信地

 江戸の大遊郭・吉原は、今では妓楼で夜ごと開かれる饗宴や遊女たちの華やかさと、それとは裏腹な彼女たちの境遇の悲惨さの対比に注目が集まるが、実際の吉原は、現在の新宿・歌舞伎町のような風俗の街であったと同時に、渋谷・原宿のような流行の発信元でもあり、銀座・六本木のようなあらゆる身分の人々が出入りする社交場でもあった。 江戸人は性愛に対しては寛容であり、吉原に通う男性は独身・妻帯者を問わず、よほど入れ込んで家財を食いつぶさぬ限り、「ある程度は仕方ない」と世間は許したという。 負債を背負うなどの遊女の遊郭勤めの過酷さは周知の事実であり、「貧しい家族を救うため」の立派な孝行というのが一般的だったという。しかも幼少から遊郭で育った女性でも、遊郭の外の男性とはごく普通に結婚できた。来日したオランダ人が記した記録(『日本誌』1727年)の中で、多くの遊女が一般市民とごく普通に結婚し、教育を受けていれば後ろ指を指されることなく一般家庭に入っていることへの驚きを記している。 一方で遊女たちは、現在の芸能人と同様に江戸市民に知られる存在であり、特にその容姿・教養を兼ね備えたトップスターである花魁が大勢の従者とともに水茶屋に客を迎えに行く様は「花魁道中」と呼ばれ、見物人も多かった。その折の髪型や華麗な服装、アクセサリーが流行の先端として江戸の婦人たちに真似されたり、出身地を隠すための「ありんす言葉」が市中で流行ったりした。 もっとも、蔦重がまだ20歳そこそこの若僧だった頃、実は吉原は危機的状況に陥っていたという。(つづく) ✴︎主な参考文献: 松木寛著『蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』日本経済新聞社 安藤優一郎監修『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』カンゼン

連載•小説

2025.01.09

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