社会•事件 尖閣諸島を開拓した日本男児
尖閣諸島を開拓した日本男児
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2024/12/18

私財を投入し村までつくった偉業を忘れるな

沖縄県石垣市の尖閣諸島は、近年、海底に眠る豊富な鉱物資源などの存在が明らかになったことから中国が領有権の主張を強めると同時に、同国海警局の大型艦艇による領海侵入が常態化している。だが、この海域は、古くから八重山地域の漁師たちの漁場として栄えてきた日本固有の領土だ。

 「日本政府が、『尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか』」と断言できるのは、かつて古賀辰四郎という人物が、私財を投入して、この列島の開拓に人生を注いだ歴史的な事実があるからです。辰四郎は1856年、筑後国(現在の福岡県)に生まれた。82年になると、事業で得た資金を元手に当時未開の孤島であった尖閣諸島の開拓に乗り出します。日清戦争が終わった95年、台湾が日本領となったことを契機に、政府は尖閣を沖縄県に編入することを閣議決定。辰四郎に尖閣諸島の30年間の無償貸与を認めたというのがその歴史です」(歴史問題に詳しいライター)

 辰四郎は魚釣島にカツオ節工場やアホウドリの羽毛加工工場、肥料工場などを次々と建設していった。同時に多くの従業員も来島し、最盛期には魚釣島・南小島・久場島に合計で280人以上の人々が定住し「古賀村」と呼ばれるまでに発展した。

 これらの功績から辰四郎は沖縄の人々から「産業の父」と呼ばれ、1909年には藍綬褒章を受章。18年に63歳で死去した。石垣島には彼を称える「古賀辰四郎尖閣列島開拓記念碑」が残されている。尖閣が明確に日本領である根拠を残した彼の後世への貢献は、計り知れないものといえるが、それも風前の灯火だ。

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