社会•事件 令和の大発見! 今までに陽の目を見なかったファン・ゴッホの最後の「ひまわり」が日本に埋もれていた
令和の大発見! 今までに陽の目を見なかったファン・ゴッホの最後の「ひまわり」が日本に埋もれていた
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2024/11/22

もうひとつの「ひまわり」

 件の「ひまわり」が、我が国に上陸したのは、1958年(昭和33年)10月のことである。東京上野の国立博物館でなんと内閣総理大臣主催の「ゴッホ展」なる催事があった。総理大臣は、〝昭和の妖怪〟こと岸信介。総理大臣主催のゴッホ展とはさすがに〝妖怪〟である。驚いたことにこのとき、我が国に130点ものゴッホ作品が集った。この際、妖怪こと岸総理大臣は、こんな挨拶を国民に向かって投げている。

 今回我が国において、「ファン・ゴッホ展」が実現されましたことは私の深い喜びとするところであります。~中略~折からオランダにおきましては日本古美術展が開催され、大層好評を得ていると伝えられておりますが、このような芸術の交流こそ世界の協同(※原文ママ)を促進するもので、世界平和へ貢献するところは計り知れないものがあると言えましょう。~後略~

 岸総理大臣がこの文面の如くファン・ゴッホの神髄を理解していたか否かはむろん問題ではない。なんといっても総理大臣主催でこんな大規模なゴッホ展が開催されたことに目を瞠るのである。このときの岸は、ゴッホ展の開催に躍起になっていたのだ。ゴッホ展は、すべて「ファン・ゴッホ展委員会」なる組織によって運営、実施された。同委員会のメンバー表を覗いてみよう。名誉総裁が高松宮殿下、名誉顧問に岸信介以下五人が名を連ねている。

藤山愛一郎(外務大臣 ※当時、以下も)、灘尾弘吉(文部大臣)、二名略、安井誠一郎(東京都知事)

 55年体制時は、政治はいうまでもなく、経済、文化、何でもかんでも自民党が先頭立って事を進めていたことがこれでもよくわかる。政治の世界においてはまさに自民党にあらずんば、政治家ではない、というような様相を呈していたのだろう。自民党専制時代だったのである。ゴッホの作品にしても自民党のツールのひとつだったに違いない。

 本稿主役の歴史から消された「もうひとつのひまわり」は、このときやってきた130点の中のひとつとして我が国に上陸した。ゴッホ展終了後、京都美術館に催場を移動し、京都美術館にてゴッホ展は催される。件の「ひまわり」も京都に。数奇な運命はここから急展開する。

 総理大臣主催のゴッホ展は、すべての日程を終え、やってきた作品は帰国することになる。しかし、130点のうち4点だけが日本に残ることとなった。それは、日本の浮世絵4点(ゴッホは浮世絵に魅せられていたという有名な逸話が思い出されよう)と交換することに決まったからだ。まるで、プロ野球の大型トレードのような話だが、先の岸の挨拶をここで振り返って欲しい。『折からオランダにおきましては日本古美術展が開催され…』好評を得ていると述べている。つまり、このときオランダにおいて出展されていた我が国の古美術品のうち4点がトレード要員となったということである。その選定を誰がしたかは推して知るべしだろう。先のファン・ゴッホ展委員会である。それを裏付ける展開をこの後見せる。ゴッホ作品と浮世絵の4対4のトレードのうち、「もうひとつのひまわり」が、なんと岸の計らいで、藤山愛一郎の個人所蔵となるのだ。今ではこんなことは決して看過されることはないだろう。国費で持ってきた美術品をこともあろうに、〝計らい〟で、一政治家の個人所有になるとは。当時の自民党はなんをやっても許されたのか。政治倫理もへったくれもない。

 ここからの「もうひとつのひまわり」は、急転直下、とんでもない運命の渦に巻き込まれる。

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