連載•小説 最強コンビ「蔦重と歌麿」の初仕事は、黄表紙の挿絵
最強コンビ「蔦重と歌麿」の初仕事は、黄表紙の挿絵
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2025/09/15

歌麿は一時、蔦重のライバルの老舗地本問屋・西村屋に属し、1775(安永4)年に役者絵を描き、
北川豊章の名でデビューした。しかし、当時の西村屋は美人画の鳥居清長に入れ込んでいた。今
も小顔の八頭身美人の絵柄で知られる早熟の新人のせいで、西村屋のラインアップに割り込む
余地がなかったようだ。
間もなく歌麿は西村屋を離れ、恐らく北尾重政の紹介で耕書堂に入ってそこで修業を重ねてゆく

西村屋でのデビュー作から5年経った1781(天明元)年、耕書堂からリリースされた、歌麿と同じ
石燕一門の兄弟子・志水燕十の黄表紙『身貌大通神略縁起』に、初めて「歌麿」の名を添えた挿絵
が登場する。ちょうど蔦重が黄表紙・狂歌本・往来物を一気に世に出して勢いに乗り始めた頃だ
った。蔦重は31歳、歌麿は恐らく28歳とされる。これがこのコンビの最初の作品とされている。
蔦重は、当時自らブームを作り出した狂歌絵本の挿絵を歌麿に任せようとしたようだ。そこで狂
歌界のキーマン・大田南畝が主宰する錚々たる面子が集まるサロンに歌麿を連れていき、「ウチ
の若手のホープ、喜多川歌麿です。どうか可愛がってやってください」とばかりに面通しをさせ
た。
それを伺わせる歌麿の売り込みチラシの現物が残っている。何と、南畝の判取帳(支払いの帳簿
)にはさんであったのだ。(つづく)

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