出版規制が始まっても、蔦重の黄表紙は売れ行き最高潮
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2025/08/04
松平定信が推し進めた世に言う「寛政の改革」は、「寛」大な「政」治という字面とは真逆だ
った。皇室や大奥の経費を削減したのを始め、大名・旗本や町人・農民とまんべんなく倹約が
求められた。特に武士には「文武両道」を唱え、武術や学問を強く奨励した。
しかし、定信が老中首座となった1788(天明8)年からその翌年は、蔦重の黄表紙の売れ行きが
最高潮だった期間である。いったいどんな内容だったのか?
そのラインアップはこんな具合である。
1788(天明8)年:恋川春町『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』
朋誠堂喜三二『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどうし)』
1789(天明9)年:恋川春町『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』
唐来参和『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』
山東京伝『奇事中州話(きじもなかずわ)』
当時、書籍は正月に袋に入れて売り出すのが通例だったが、ことごとくが大変な勢いで売れた
という。
当時の記録では、「問屋仲間は言うまでもなく、小売りの者までもが我も我もと買いに店まで
押し寄せたために行列ができ、製本が間に合わない。摺ってそのまま製本せずに台車に積んで
引いていても、客は「そのままでいいからくれ」と争って買いに来る。そこで表紙と製本用の
糸をセットで売った」と、異常なまでの過熱ぶりがうかがえる。(つづく)
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