老中を罷免され、知行を召し上げられ……田沼意次の転落
連載•小説
2025/07/14
1786(天明6)年8月25日、10代将軍・家治が死去すると、田沼意次とその一派は立ちどころに転
落していった。2日後の27日には収賄を理由に老中職を罷免され、知行5万7000石のうち2万石が
召し上げられ、閉門を命ぜられた。ヘビーな措置だが、この辺りは御三家・水戸徳川家の6代当
主・治保(はるもり)の差配によるものだ。
意次はさらに屋敷に踏み込まれてチェックを受け、物品が没収され封印が貼られた。さすがに
色々とため込んではいた模様で、江戸の蔵にはコメ32万8000石余り、大豆3万石、小豆2万石。
故郷の遠州相良城内にはコメ173万6700石、大豆42万3000石、金47万2800両があったという。
この治保宛てに、「家柄と才覚のある者を老中に据えて、吉宗公のような政治を行わせたい。
その人物については、多少なりとも心当たりがある」と手紙を出した者がいた。他ならぬ一橋
治済だった。「心当たり」はもちろん松平定信である。
「家治公より頂いた2万石の没収だけでは罰が軽すぎないか?」と、治保と尾張家の9代当主・
宗睦(むねちか)が連名で治済に問い合わせたが、治済は当の黒幕でありながら、「当時の役人
に潔白な者はいないし、事情を理解せぬままいろいろご沙汰をすると民衆の間に不信感が募る
から」と素知らぬ顔で返答している。(つづく)
TIMES
連載•小説








