病床の10代将軍・家治の服用薬にひと味加えたのは誰か
連載•小説
2025/07/17
田沼意知の死以降、エリート級の幕閣が次々と死ぬか失脚していく。なぜか意知と連座する形で謹慎処分となった若年寄、長崎・出島のオランダ商館長が「田沼が失脚したら、彼は切腹することに決めているが、もしそうしなかったら一連の要人たちと同様、毒殺される可能性がある」と手紙に記していた長崎奉行。さらに将軍と諸大名の間を取り持つ21歳のエリート奏者番が突然死亡したが、彼の義母は田沼意次の養女だった。
そして1786(天明6)年夏、10代将軍・家治が病床につく。老中たちは20名を超える医療・医薬品担当の典薬たちを招いた。その場の皆で配合した薬に、1人の典薬が何か別の一味を加えた。他ならぬ将軍が服用する薬だけに、他の典薬は「何を加えた」と問い質した。しかし、当の典薬は「秘伝の薬です」と答えただけだったという。
抗議して退席する者も擁護する者もいたが、結局はそのまま家治に服用させた。しかしその日の深夜から家治は様態が急変、危篤状態に。「体が震えだし、吐血激しく、異常な死だった」ことが『天明巷説』に記されている。
そしてこの家治の死も、どういうわけか意次の仕業ではないかという噂が立つのである。自らの重要な後ろ盾だった家治を、意次が殺さねばならない理由はないはず。誰かがガセネタを流した可能性が高い。(つづく)
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