ペリー来航より80年早かった意次「開国」政策
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2025/06/19
田沼意次は利根川水系の大規模な開発にも着手した。印旛沼、手賀沼を干拓しで新田開発を推し進め、かつ双方から江戸湾、検見川に通じる水路を掘り、排水による洪水のコントロールを図った。
しかもこれらを幕府の財政のみならず大阪ほか大手商人たちの資金を活用するという、当時としては先進的な手法を取り入れている。こうした商人との連携を深めるため、株仲間の公認を推し進めている。
ペリー来航(1853(嘉永6)年)の80年近く前に進めていた開国政策も、田沼政治の先進性を伺わせる。工藤平助の『赤蝦夷風説考』を参考にロシアの南下政策に対応。蝦夷地を幕府の直轄地として開発し、ロシアとの交易の拠点とする計画を立てていた。
加えて長崎貿易を強化してその収益を幕府財政に取り入れるほか、俵物や銅などの輸出を奨励し、中国・オランダとの貿易を活性化させようとした。また純度の高い銀貨を鋳造することで、金銀の交換比率の安定を目指した。
もっとも、こうした大規模で先進的なプロジェクトの受注、あるいは株仲間の許可を得るための商人たちの動きが、田沼政治の代名詞でもあるワイロの横行につながった、というのが定説である。
田沼意次を積極的に推し進めたこれらの斬新な施策は、しかしことごとく頓挫することになる。理由は天災と政争だった。(つづく)
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