2025/05/19
勢いづく蔦重は1783(天明3)年、日本橋通油町(現・日本橋大伝馬町)の地本問屋の建物を買い取って吉原の店舗は残しつつ新たな拠点とした。当時34歳。日本橋は江戸と地方をつなぐ物流の中心地であり、それゆえ老舗版元が軒を連ねる場所でもあった。
天明期の当時、江戸で大流行していたのが「狂歌」だった。いわば短歌のパロディであり、俳句に対する川柳に近い存在。黄表紙、洒落本という一般庶民向けの書物との類似性もあって、蔦重はここを新たな出版の市場として開拓してゆく。
その狂歌のキーマンが大田南畝だった。江戸中・後期を代表する文人・狂歌師・戯作者・学者。すでに触れた出版物の格付け『菊寿草』の評者の中心人物であり、実は幕府の官僚でもあった。もっとも年齢は蔦重の1つ上。大河『べらぼう』では桐谷健太が演じる。
19歳で平賀源内の本にインスパイアされた狂詩(漢詩の‶パロディ″)集『寝惚先生文集』を出す早熟ぶり。20歳で「四方(よも)連」という狂歌のサークルを立ち上げている。
流行に後れまいとする人々の間に狂歌は爆発的に広まった。そのブームの高まりとともに、この「連」は南畝のそれに限らず江戸のあちこちで立ち上がった。
いずれも武士や町人、作家、絵師、落語家、本屋など身分や職業の貴賤に関係なく、適当な狂名を名乗って「連」に集まり、テーマを決めて狂歌を詠む「題詠」や、即興で詠む「付け句」などを楽しんだ。酒も入るし、重い思いのコスプレ姿で行った絵画や記録も残っている。平安貴族の歌会の生真面目さとは程遠かったのは、言うまでもない。
蔦重はこの狂歌ブームを、どうビジネスに繋げていったのか。(つづく)
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