2025/03/10
「江戸の三名妓」の最後の1人は、吉原で11代続いたとも言われる名跡・高尾の2代目(?1641(寛永18)~?1660(万治3))。仙台大夫という別名の通り、仙台62万石3代目藩主で伊達政宗の孫・綱宗に身請けされた。大河ドラマにもなった小説『樅の木は残った』で知られる伊達騒動に登場する放蕩三昧の殿様である。
高尾を抱えた妓楼の三浦屋は、綱宗に高尾と同じ目方の小判を請求。綱宗はそれに従い3000両、現在で言えば約3億円に当たる金額を支払ったという。
その後の高尾の運命には諸説あって、身請け後に帰郷する船上で、他の情人の存在を知った綱宗に斬殺された、綱宗とともに天寿を全うした、あるいは三浦屋の別宅で病没した、などなど。もちろんこれだけの金額が動く例はごく一握りである。
こうした頂点に立つ遊女たちは、読み書きはもちろん、茶道、書道、和歌・俳句、琴、三味線、さらに囲碁、将棋などあらゆる芸に通じていた。自ら流派を名乗った能筆家もいたし、『源氏物語』『伊勢物語』といった古典に詳しい者もいた。今なら芸能人兼文化人といったところか。
大河『べらぼう』劇中で高利貸・鳥山検校に、実に1400両――約1億4000万円――の高額で身請けされた松葉屋の5代目瀬川もその一人だ。踊りや詩歌、唄、書画に長けて江戸中の尊敬を集めたが、同じ瀬川でも著名なのはむしろ二代目、四代目で、書道と易道に突出した才能を示していた。
しかし鳥山検校は5代目瀬川を身請けした3年後の1778(安永7)年、悪辣な商売ぶりが露見して全財産を没収され、江戸から追放されるという重罪に。それ以降の瀬川の足跡は不明である。(つづく)
✳︎主な参考文献;安藤優一郎『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』(株)カンゼン
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