2025/01/16
吉原の競争相手は、岡場所だけではない。日光街道を除く主要4街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道)の江戸の出入り口に当たる宿場町もまた、遊女の集まる場所だった。『べらぼう』の劇中、田沼意次に「宿場を栄えさせるのは何だ?」と問われた蔦重が「女とバクチです」と応じた重要なポイントである。
幕府は「飯盛女」と呼ばれる女性を、そこの旅籠1軒につき2人置くことを許可した。宿場の奉公人という名目で客と食事をし、その後に同衾する女性のことである。宿場では幕府の書状や荷物を取り次ぐのに人足や馬の経費がかかるため、それを補っていた。
品川宿は日本橋から始まる東海道の最初の宿場町。実は格式が高く、揚げ代は4ランク(上から大見世、中見世、小見世、切見世)ある吉原の遊女の小見世より高額だったという。最盛期には500人もの飯盛女がいた。吉原のガイドブック『吉原細見』に倣った『品川細見』も発行されたという。
甲州街道の最初の宿場が内藤新宿、四谷新宿とも言い、現在の新宿1~3丁目付近の新宿通り沿いに旅籠が並んでいた。最盛期は品川並みの500人もの飯盛女を抱える隆盛ぶりだったという。同様に奥州街道には千住、中山道には板橋が同じ役割を果たした。いずれも現在のその街の繁華街などにその名残を残していると言えよう。
岡場所に宿場町。こうした安価で地の利もある競争相手に、18世紀後半の吉原は押され気味だった。吉原で生まれ育った蔦重は、ある意味一心同体で危機感を共有していたに違いない
「ライバルに押されている吉原の力になろう」と考えた蔦重は、まず何から始めたのか。(つづく)
TIMES
連載•小説








