2025/04/03
朋誠堂喜三二とは旧知の仲良しで、黄表紙の走り『金々先生栄花夢』を著した恋川春町もまた、後に執筆活動を再開し蔦重を支えた売れっ子作家のひとりだった。本名は倉橋格(いたる)。紀州徳川家御付家老の安藤帯刀の次男であり、後に駿河小島藩(現静岡県静岡市清水区)滝脇松平家の家臣団のトップとなる。
藩政の中核を担いつつ戯作のほか浮世絵師としても活躍。洒落本や滑稽本の挿絵も手掛けている。喜三二の著作に提供した挿絵も多い。しかし田沼意次が失脚し松平定信が実権を握る世となったとき、悲劇的な結末を迎えてしまう。
江戸の悪所・歌舞伎と吉原は、地位こそ低かったがそこに身分を越えた様々な文化人が出入りし、江戸文化を産む土壌となった。喜三二はその典型だったが、同時に江戸留守居役という役職も一つのポイントだった。
江戸留守居役は御城使とも言われ、参勤交代で藩主が国元にいる間に藩の江戸屋敷に常駐し、幕府や他藩との折衝を始め様々な情報取集を行う役回り。言わば外交官であり、各藩の留守居役が集まって公認の組合を作り、他藩との横の連携も持っていた。
情報収集には飲み食いが付いて回る。留守居役は料亭通い、吉原通いが半ば職務になり、歯止めが利かなくなりがちだった。中には藩主よりも豪勢な生活を送る留守居役もおり、接待費の使い過ぎがどの藩でもしばしば問題視されていたという。
喜三二は、恐らくそれをよいことに吉原に通い詰め、吉原での通の遊び方や滑稽を綴った洒落本のヒット作も数多く残した。趣味と実益を兼ねた、何ともうらやましい話ではある。(つづく)
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