2025/06/02
酒井抱一は江戸初期の俵屋宗達、尾形光琳に連なる、いわゆる「琳派」の巨頭の1人。琳派は金銀箔や鮮やかな色彩、花鳥風月をモチーフとしたデザイン性で知られる、日本美術史に残る一派である。
姫路藩の世嗣・酒井忠仰の第4子という名家出身の抱一は画家・文化人である一方で尻焼猿人(しりやけのさるんど)――真っ赤なケツの猿という狂名で活躍していた。
当時20代前半だったこの大物と、一回り近く年上の蔦重との厳密な接点は不明だが、江戸の酒井家藩邸を拠点に、他の大名子弟のボンボンたちと遊び回っていた抱一が吉原で蔦重と接点を持ち、蔦重が赤良・橘州と抱一が同席する宴席を設けたとしても違和感はない。
こうして狂歌の3巨頭を独占するに至った蔦重のプロデューサー的手腕は、恐らく当時の他の地本問屋の発想の外であったろう。
同じ1785(天明5)年冬に刊行した『夷歌百鬼夜狂』は、江戸・深川でこの3巨頭を含む15人ほどの狂歌師が集まり、妖怪やお化けを題材とした百首を収めた狂歌本。「百物語」よろしく100本のロウソクを灯し、一首よむごとに1本ずつ消しながらよんだという。
翌1786(天明6)年の『吾妻曲狂歌文庫』は、狂歌師50人の肖像画を北尾政演が1人1人色鮮やかに描き、そこへ個々がよんだ狂歌1首を赤良が書き込むという百人一首を模した大型の豪華本。高価にも関わらず大ヒットとなった。その後も狂歌師を100人に増やしたバージョンも刊行し同様の売れ行きを見せるなど、狂歌本は蔦重の独り勝ちとなった。(つづく)
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