2025/05/26
中曽根さんと後藤田さんの防衛外交問題
香村 中曽根(康弘首相)さんと後藤田さんとは、防衛外交問題についての見解はかなり異なっていたと思うんですけどね。
平沢 そうですね。かなり違うと思います。
香村 その辺の意見のすれ違いをぶつけ合うことなく、お互いに、腹に納めていたということですかね。
平沢 後藤田さんは、安全保障の限りで言うと当時の社会党の考えに近いところがありました。だから社会党の女性議員から「私のところの委員長になって下さい」などといった発言が出たのでしょう。片や中曽根さんは自民党の中でもかなり右寄りと言えました。後藤田さんがいつも言っていたのは、自分は中曽根さんのところで仕事をしていると。だから、中曽根さんと私の意見が違った場合は、当然のことながら、中曽根さんの指示に従う。しかし重要なことで、これだけは絶対譲れない、あるいは自分の首をかけてでもこれだけは守らなければならないといった問題については、相手が中曽根さんであろうと誰であろうと、自分は自分の意見を言わせてもらうということをよく言っていました。
香村 その一つの例が、イランイラク戦争の時に、ペルシャ湾に掃海艇を派遣するかしないかをめぐって、後藤田さんは首をかけて、閣議でも反対するんだというようなことをおっしゃってましたね。
平沢 これについては、私はたまたま中曽根さんと後藤田さんのやり取りの場にいたからよく知っています。後藤田さんが中曽根さんのところに行くというのでついて行ったら、旧官邸の中曽根さんの狭い総理室でした。後藤田さんは中曽根さんと掃海艇の派遣のことで言い争いをしていたのです。中曽根さんが「掃海艇だけは派遣しないとアメリカが・・」と言うと、後藤田さんは「それは分かるが、行けば必ずエスカレートしてどんどん派遣が行われる。日本はその心配があるんだ」というようなことを言ってました。結局、最後は中曽根さんが諦めました。
香村 折れましたね。
平沢 その場面で、後藤田さんは「分かりました。私は辞表を持ってきましたから」と中曽根さんの前で言うわけです。結局、中曽根さんとしては、後藤田さんを閣外に追いやったら大変なことになる。従って円満にやるには、ここで自分が譲るしかない。それで譲ったと思います。その結果、中曽根内閣は続きました。私は自分に逆らう人を最も側近の官房長官というポストに就けた中曽根さんの度量の大きさには、ただただ驚くばかりでした。私は政治家になってから、中曽根さんに「なぜ後藤田さんのようなうるさい人を側近に置いたのか」聞いたことがある。その答えは「官僚を抑えられる。危機管理ができる。そして、意見を直言してくれる」だった。
香村 中曽根氏にとっては、後藤田さんは内閣の大黒柱でした。後藤田さんがいなければ内閣は維持できないといった実力を後藤田さんは持っていたということですかね。
平沢 まあ、そういうことでしょうね。後藤田さんは毎週、内調(内閣情報調査室)を呼んで、国民の皆さんはどう思ってるか聞いていました。その時の内調の室長は警察庁出身の谷口守正さんです。谷口さんは後藤田さんに呼ばれて徹底的に世論調査をやり、自分のやってい
ることに間違いはないという確信を得たのだと思います。因みに、谷口さんは徳島の警察本部長の時に後藤田陣営の人を260人以上選挙違反で検挙している。その捜査の責任者を後藤田さんは自分の側近に置いたわけで、後藤田さんの度量の大きさにはただただ驚きます。
香村 それと防衛問題ですね。軍事費、防衛費ですね。対GNPの1%を超えてはならないと。ところが、結果的に1%を超えた。その時も後藤田さんは強く反対している。
平沢 反対どころか、反乱ですね、後藤田さんは。国会には自衛隊の応援団が多くいました。村上正邦(元労相)さんがその筆頭だったと思います。皆さん大勢で官房長官室に来ては「1%なんかなんだ。1%で日本を守れるか」てなことを言っていた。片や後藤田さんは「俺の目の黒いうちは1%超えはダメだ」と。後藤田さんは戦前のような過ちをさせない最後の砦の一つが1%と思っていたのでないか。これを一度超えたら、歯止めがきかなくなるので1%は守らなければと考えていたのだと思う。そのことをずっと言い続けてきたが、結局、最終的には「諸外国に比べ極端に少ない防衛費では日本を守ることはできない」として、1987年度から、わずかだが1%を超えています。後藤田さんがいつも言っていたのは、「役人は、一度予算をつけるとその後はただひたすら増やし続ける」と。政治家は自衛隊に対していい顔をしようとする。選挙などでいろいろと世話になっているからだ。後藤田さんが言っていたのは、「防衛庁の応援団の人たちは分かっているのかな。そして、警察予算で増員を求めて応援する人たちは、明日にでも警察に捕まりそうな人たちが多い」などと我々に言っていた。警察官を増員したいということで、当時の山田英雄警察庁長官は、何度となく私に電話で、「なんとしてでも後藤田さんを口説いて、増員を認めてもらってくれ」と言ってきた。長官としては当然のことだ。しかし後藤田さんは最後まで増員反対を通していた。後藤田さんの考えは徹底していて、とりわけ自分の出身官庁の警察庁には厳しかった。後藤田さんは「役所の人員に無駄が多いことを俺はよく知っている」と繰り返し言ってました。警察庁の幹部はともかく人員を増やすことだけ考えて、減らすことは考えない。だから俺は反対なんだと言ってました。後藤田さんは警察官の増員や防衛予算の増額にはしっかりした根拠がない限り絶対反対といった立場に立った急先鋒でした。予算の1%を最後まで主張し続けた一人でもある。予算担当者は1%からあまり出ないようにしなければならなくなったことから随分苦労したと思います。
香村 数字の操作ですね。(つづく)
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