2025/05/12
家治の嫡男・家基が落命した鷹狩に同行した村垣定行だけでなく、鷹匠・内山永恭および馬方・村松歳釐の双方の人事にも、一橋治済の影がずっと見え隠れしているという。彼らが切腹どころかことごとく出世をとげていることから、家基の死は病死でも事故でもなく、鷹狩の最中に暗殺された――例えば馬もろとも崖下に突き落とされた――可能性は相当高いと見ていいだろう。
御三卿・一橋家の治済にしてみれば、家基を亡き者にして徳川将軍家の血脈を断てば、嫡男・豊千代――後の家斉——に将軍のお鉢が回ってくる。そのためにまず時期将軍候補のライバル・田安定信——後の松平定信——を白河家に養子として追いやったことはすでに述べた。
治済が排斥すべき最大の敵と見ていたのは、言うまでもなく田沼意次だった。11代将軍・家治との関係で得た権力を息子・意知にそのまま移譲したかった意次にとって、家治の嫡男・家基の死は大打撃だった。家基の死後も、意次と親しく、先進的な気性で開国派だった薩摩藩8代藩主・島津重豪(しげひで)を、その娘を豊千代の妻に娶って寝返らせたのを始め、忠誠を誓った子飼いを幕閣に押し込んで幕府内部の勢力をじわじわと拡大していく。。
意次の直接の配下だった平賀源内の「暗殺説」がささやかれる理由は、まさにここにある。意次の政治生命を絶つべく、その有力なブレーンだった源内を消した――フェイト商館長の日誌にある「江戸町奉行や幕閣らの命で毒殺された」という記述を捨て置くことは出来まい。
そして老中・意次の致命傷となる次の暗殺事件を画策し、実行の命令を下したのも恐らく治済だった。(つづく)
参考文献:秦新二、竹之下誠一著『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋
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