2025/02/17
松平定信は1774(安永3)年、17歳で陸奥国白河藩松平家に養子縁組された。嫡男・治察の死で存続の危機にあった田安家の抵抗は押し切られた。以後14年の間、田安家の当主は空位のままだった。なぜこんな‶人事″が行われたのだろうか。
定信が英才をうたわれたとはいえ、11代将軍・家治には嫡男の竹千代――後の家基がいた。当時13歳。快活で鷹狩を好む文武両道の俊才だったという。家治から全幅の信頼を得ていた意次にとっても、家基は末永く権力を握るのに好都合な存在だった。
ところが、その家基が1779(安永8)年、突然落命する。享年16。名前に由緒ある「家」の字を冠しながら将軍の座に就けなかった唯一の跡取りとなった。
問題は家基の死因が急病なのか事故なのか、現在に至るまではっきりしないことだ。意次による毒殺の噂も流れたが、意次と家治との親密度を見ると考えづらい。
一つ言えるのは、家基の死によって一橋家の当主・治済の嫡男・豊千代――後の家斉が将軍の座に就く道が開けたことだ。ついでに言うと、田安家には治済の五男・斉匡(なりまさ)が養子として送り込まれ、実質的に治済の影響下に入ることになる。
一橋治済とは何者なのか。大河『べらぼう』第2話でそれが暗示された。田安、一橋、清水の御三卿の面々が豊千代の生誕を祝う宴席で、2人の人物が仮面を被って人形を操る。一人は意次、もう一人が治済だった。
治済は「傀儡(かいらい)師にでもなるか」と皆を笑わせるのだが、治済は確かに傀儡師――人形遣いとなって幕閣を裏から操る存在となっていく。(つづく)
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