連載•小説 売れっ子作家・朋誠堂喜三二は江戸常駐の東北武士
売れっ子作家・朋誠堂喜三二は江戸常駐の東北武士
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2025/03/31

 18世紀後半の江戸では、武士階級の作家が少なくなかった(町人作家が主流の化政文化の時代はもう一世代後の時代)。朋誠堂喜三二は本名が平沢常富。出羽国久保田藩(現秋田県)で120石を得て江戸屋敷に住まい、江戸留守居役筆頭を務める藩士だった早熟で文才を発揮し、上役でこれまた俳人の佐藤朝四に師事して文芸人との交際を拡げていった。

芝居町(歌舞伎と吉原に出入りするようになってからは自らを「宝暦の色男」と呼ぶ洒落者だった。鱗形屋版『吉原細見』にはすでに30代半ばで関わり、吉原に着想を得た黄表紙でヒットを連発した。1780(安永9)年に蔦重が一気に出した黄表紙8点のラインアップは、竜都四国噂『廓花扇観世水』『鐘入七人化粧』3点入っている。

喜三二と同様、その後も蔦重を支えていくもう一つの柱、北尾重政はこの時代の浮世絵の重鎮。書物問屋の老舗・須原屋茂兵衛の血脈・三郎兵衛の長男として生まれた。当時は42歳で、家業は弟にゆだねて浮世絵に専念。美人画、花鳥図など多彩な図柄を描き、先の喜三二作『鐘入七人化粧』も含めた挿絵も多く手掛けた。やはり鱗形屋との接点もあり、蔦重とは早くから知己であったと思われる。

版元としてはまだルーキー同然だった蔦重・耕書堂が喜三二と重政という2人を得たことはとてつもなく大きかった。2人はこの後もその腕と人脈を持つ年上のブレーンとして蔦重を支えていく。(つづく)

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