連載•小説 吉野、夕霧、高尾……江戸期の遊郭を彩る「三名妓」
吉野、夕霧、高尾……江戸期の遊郭を彩る「三名妓」
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2025/03/06

 江戸期の3大遊郭――大阪・新町、京・島原、江戸・吉原――には歴史に名を残す遊女が何人もいて、その名跡のいくつかは代々受け継がれた

京ではやはり吉野太夫が今に名を残特に島原移転前の六条三筋町にいた二代目(1606(慶長11)~1643(寛永20)、本名)はその名が清にも届著名な詩人が詩を作ったとも言われている。林弥(りんや)という禿から14歳で太夫――遊女の最上位――の座に就いた吉野は美人で聡明なうえに香道の造詣が深く、宴席の座持ちもよく大きな評判になったという。

時の関白・近衛信尋の町衆で連歌作家の灰屋紹由が取り合い、最後は紹由が26歳の吉野を身請けしている。

大阪・新町では夕霧ゆうぎり1652?-1678年)大夫が著名だ。本名を「てる」と言った。井原西鶴『好色一代男』の中でその端麗な容姿と人柄を絶賛した

京・島原で名を高めてから新町に移籍。礼儀正しいうえに宴席自ら盛り上げる明るさがあった。客の身分に分け隔てなく持てなすホスピタリティも満点指名が殺到。重複したら代わりに下位の遊女を派遣して座を持たせたのは大河『べらぼう』松葉屋瀬川と同じだ。

しかし、移籍後わずか6年後の正月に死去。22歳ないし27歳とされる。僧侶が祈祷を行い、名医も懸命に治療したというが、その甲斐はなかった。死後1カ月で歌舞伎『夕霧名残の正月』が上演され、「夕霧忌」が新年の季語ともなったという。

この両名とともに「江戸の三名妓」と呼ばれるのが吉原の二代目高尾大夫である。(つづく)

 

✳︎主な参考文献安藤優一郎江戸の色町 遊女吉原歴史(株)カンゼン

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