連載•小説 元寇の255年前、外敵を撃破した武闘派貴族たち
元寇の255年前、外敵を撃破した武闘派貴族たち
連載•小説

2024/12/23

筑前国・大宰府は当時、大陸や朝鮮半島との間の軍事・外交と九州全土の統治を担っており、隆家は九州の豪族たちに緊急で召集をかけ、同時に朝廷に向け、早馬で矢継ぎ早に解文(げぶみ、上申書)を送り、現地の状況を報告。自ら軍を率いて警固所に詰めている。

突然の来襲であったことに加え、守るべき範囲が北九州沿岸の広い地域に渡ったため、すぐには相応の兵力を集められず、当初は上陸先の地元豪族が応戦し食い止めていた。一方の刀伊軍は8日に博多湾内の能古島を攻略し、そこを拠点に数日間、方々へ軍を展開した。

しかしそこから2日間に渡る大風で戦闘が中断され、その間に隆家を始め京から大宰府に赴任していた「無止(やんごとなき=高貴な)武者」と在地豪族たちが筑前早良郡、志摩郡など沿岸部で陣容を整え、12日夕方に上陸した刀伊軍を撃退、13日には肥前国松浦を襲撃(『光る君へ』劇中ではここが描かれた)した刀伊を撃退、対馬まで追撃しついに追い払った。

当時の記録では、死者364人、捕虜となった者1289人、牛馬380頭が殺害・略奪されたが、一貫して隆家の指揮の見事さが際立っているという。敗走する刀伊軍を対馬まで追撃するも、深追いして当時恐れられていた新羅の領海まで踏み込むことを避けた判断も明快だった。

貴族といえば、TVや映画の劇中では‶体育会系″の武士と対比する形で、‶文科系″でなよなよしく、しかし権謀術数に長けた存在として描かれることが多かった。しかし、突然の外敵の襲来にこれだけ対応できた貴族がいたことは、平安貴族に対する一般的なイメージを少々改めねばならないかもしれない。

実は、都の貴族は決して軟弱な存在ではなかったのである。(つづく)

 

※主な参考文献

関幸彦『刀伊の入寇』中公新書

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