一橋治済、ついに「何も悪しきことなき」意次を追い落とす
連載•小説
2025/07/24
ところが、松平定信が老中の座に就いた翌月の1787(天明7)年8月、つまり田沼意次が蟄居を
命じられる直前に、一橋治済が御三家の尾張宗睦・水戸治保宛てに書いた手紙には、仰天する
ような記述がある。
「意次の処分について意見を述べましたが、その後、意次の諸悪が露見することもなく、このまま済んでしまってはあまりに安直すぎ、まったくもってよくないと思います」……要は、意次
がわいろを受け取ったという証拠そのものが出てこないというのだ。
治済は手下の目付を使って意次の収賄スキャンダルを探らせていたが、上がってきたのは「何
も悪しきことなき」というリポートのみだったという。これではスッキリした形で意次を切り捨
てることができない。
贈収賄に領収書を書く者はいないから、「証拠なし」と言っても全くの潔白ではなさそうだが、
手紙は以下のように続く。「意次の領土である遠州相良を取り上げて転封すれば、意次にダメー
ジを与えられるし、民衆も納得して新しい政策を受け容れるでしょう」……こんな思い付きで人
を追い落とすやり方がまかり通っていたのが怖い。
同年10月、意次は蟄居を命じられる。相良城は打ち壊され、城内に備蓄されていた8万両のうち
の1万3千両と塩・味噌が没収された。孫の意明が陸奥下村1万石に転封され、御家断絶だけはか
ろうじて回避された。
1788(天明8)年、失意の意次は江戸で死去した。享年70。(つづく)
主な参考資料:秦新二『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋
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