2025/02/20
再び出版界に話を戻す。地本問屋の老舗・鱗形屋孫兵衛の手代が、大阪の版元・柏原与左衛門・村上伊兵衛出版が出したスグレモノの字引『早引節用集』を『新増節用集』と改題し、無断で販売していたことが露見した。1775(安永4)年のことである。
手代は家財欠所(全財産の没収)、十里四方追放(日本橋から東西南北約20km四方に生涯立ち入り禁止)、孫兵衛本人も罰金12貫文(10~13万円)の処分を受けている。
実は当時、京都・大阪の出版物はその点数で江戸のそれを圧倒していた。出版業のそもそものルーツは京都である。飛鳥時代、仏教・製紙業とともに中国大陸から入ってきた出版業は、平安・鎌倉期を経て室町期、応仁の乱で京都が荒廃したのを機に文化人や木版職人らが全国に拡散したという。
江戸期に入り、1682(天和2)年の大阪商人・井原西鶴が著した『好色一代男』の大ヒットがきっかけで大阪に新興の出版業者が増えた。いわゆる江戸文化はもっぱら江戸の街で栄えたと錯覚しがちだが、江戸中期の元禄文化の担い手だった西鶴や近松門左衛門の活動拠点は、江戸ではなく上方――大阪・京都だったのだ。
当時、江戸の新興版元は、大阪・京都の老舗版元の出版物を許可を得て販売しており、江戸オリジナルは未発達だった。「地本」という呼び名は「地酒」と同様、「地方」「格下」という意味合いが込められていたのである。
鱗形屋の事件も、そうした東西の力関係の副産物と言えなくもない。しかしこの時期、つまり鱗形屋が没落し、蔦重がのし上がっていった頃から、江戸の出版物は爆発的な伸びで上方を猛追するのである。(つづく)
TIMES
連載•小説








