「天明の打ちこわし」は定信の老中就任を狙う計画的犯行だった?
連載•小説
2025/07/21
1787(天保7)年4月、11代将軍・徳川家斉が誕生した。その父・一橋治済は松平定信の老中就任
に向けて、田沼派を粛清していく。
就任の障害となっていたのは、それに頑強に反対していた田沼派の大物側衆・横田準松(のり
とし)だった。それを、同年5月に始まった「天明の打ちこわし事件」を上に報告しなかったと
いうカドで罷免している。
天明の大飢饉とそれによる米価の高騰が引き起こした江戸期最大の打ちこわしとして知られる
この騒動は、5月20日に江戸・赤坂の米屋が襲撃されたのを皮切りに江戸・大阪で次々と拡大し
ていったが、怒った民衆の勢いが波及していったというより、きちっと計画的で統率が取れて
いたとも言われている。
しかも、11代将軍候補・家基の殺害にも暗躍した御庭番たちが、詳細なリポートまでまとめて
いるのだ。恐らく治済の指図であろう。
準松はこの打ちこわしについて家斉に問われ、「平穏無事」と回答したとされている。準松は即
座に罷免され、翌6月の19日、松平定信が老中の座に就いた。(つづく)
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