政治•経済 なぜ、イスラエルとイランは友情から犬猿の仲になったのか?
なぜ、イスラエルとイランは友情から犬猿の仲になったのか?
政治•経済

2025/07/05

 近年、イスラエルとイランの間では軍事的緊張が高まり、2025年6月時点でも両国間の応酬が続い
ている。国際社会や日本国内では、両国は「犬猿の仲」と見なされている。しかし、1979年のイ
ラン革命以前、イスラエルとイランは戦略的かつ友好的な関係を築いていた。
イスラエルとイランの友好関係は、1948年のイスラエル建国直後から始まる。イランは、イスラ
ム教徒が多数を占める国でありながら、1950年にイスラエルを国家として承認した最初のイスラ
ム国家の一つである。この時期、イランはパフラヴィー朝(1925~1979年)下にあり、シャー(
国王)モハンマド・レザ・パフラヴィーの統治は親米・親西側路線を採用していた。イスラエル
もまた、冷戦下で米国を後ろ盾とする西側陣営に属していたため、両国は共通の地政学的利益を
持っていた。
特に、両国はアラブ諸国との関係で孤立していた点で一致していた。イランはシーア派が多数を
占める国であり、スンニ派が支配的なアラブ諸国とは宗派的な対立があった。一方、イスラエル
はアラブ諸国から敵視されており、特にエジプトやシリアとの対立が顕著だった。このため、両
国は「敵の敵は味方」という論理で結びつき、戦略的同盟を築いた。この関係は周辺同盟
と呼ばれ、非アラブ国家であるイラン、イスラエル、トルコが協力してアラブ諸国の影響力を牽
制する枠組みだった。
経済面でも協力は顕著だった。イランは豊富な石油資源を持ち、イスラエルに原油を供給してい
た。特に、1968年に完成したエイラート・アシュケロン・パイプライン(通称「トランス・イス
ラエル・パイプライン」)は、イランからイスラエルへの石油輸送を効率化した。このパイプラ
インは、両国の経済的結びつきの象徴だった。また、イスラエルはイランに農業技術や灌漑技術
を提供し、イランの近代化を支援した。民間交流も盛んで、両国間には直行便が運航され、ビジ
ネスや観光での往来も見られた。
軍事・情報分野でも協力は深かった。イスラエルの情報機関モサドとイランの情報機関SAVAKは
、反共産主義やアラブ民族主義の抑止を目的に情報共有を行った。特に、ソ連の影響力拡大を警
戒する米国は、両国の協力を支持した。イランはイスラエルから武器や軍事技術の提供を受け、
軍事力の近代化を進めた。このような多層的な協力関係により、1970年代まで両国は密接なパー
トナーだった。
しかし、1979年のイラン革命は、両国関係の劇的な転換点となった。この革命により、パフラヴ
ィー朝が崩壊し、イスラム主義を掲げるホメイニー師が指導するイスラム共和国が成立した。新
政権は反米・反イスラエルを明確に打ち出し、イスラエルを「シオニスト政権」として非難。革
命直後、イランはイスラエルとの外交関係を断絶し、友好関係は終焉を迎えた。
新政権のイデオロギーは、イスラム主義と反帝国主義に基づいており、イスラエルをパレスチナ
を占領する「不正な存在」と見なした。特に、ホメイニーはパレスチナ問題をイスラム世界の団
結の象徴と位置づけ、イスラエルへの敵対姿勢を強めた。一方、イスラエルはイランの新政権を
地域の不安定要因と見なし、特にイランの核開発やヒズボラなど代理勢力への支援を脅威と捉え
た。
1980年代以降、両国は直接的・間接的な衝突を繰り返した。イランはレバノンのヒズボラやパレ
スチナのハマスを支援し、イスラエルに対する非対称戦争を展開。イスラエルはイランの核施設
への空爆(例:1981年のイラクのオシラク原子炉攻撃に影響を受けた)や、サイバー攻撃(例
:2010年のスタックスネット)を仕掛けた。2025年6月現在も、イスラエルによるイラン関連施
設への攻撃や、イラン側からの報復が続いている。

イスラエルとイランは、1979年以前、戦略的・経済的・軍事的な協力に基づく友好関係を築いて
いた。石油、技術、情報交換を通じて、両国は互いに利益を得ていた。しかし、イラン革命によ
りイデオロギーの対立が表面化し、関係は敵対へと一変した。現在では、核問題や代理戦争を通
じて緊張が続いているが、かつての友好の歴史は、両国の関係が地政学的文脈に大きく影響され
ることを示している。

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