社会•事件

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「自爆営業」防げ 厚労省がパワハラ指針を改正し、規制強化
「自爆営業」防げ 厚労省がパワハラ指針を改正し、規制強化

「自爆営業」という単語をご存知だろうか。ノルマ達成のために会社員が自社製品を無理やり買わされたり、農協職員が自腹で共済掛け金を支払ったりして「自腹を切る」ことを指し、郵便局員が年賀状の大量購入を強いられるケースが有名だ。昔から問題視されながらも、企業発展につながる「必要悪」として放置されてきたが、ようやく国が規制強化に乗り出したのだ。 厚生労働省は11月26日、厚労相の諮問機関・労働政策審議会に対し、労働施策総合推進法(パワハラ防止法)に基づく指針を改正して自爆営業について明記する方針を示し、了承を得た。厚労省関係者は「自爆営業がパワハラに該当しうる悪質な行為だということを明確に示すことで、根絶につなげる狙いがある」と強調する。 パワハラは一般的に、「優越的な関係を背景とした言動」「業務上必要かつ相当な範囲を超える」「労働者の就業環境を害している」――の3要素を満たせば認定される。自爆営業は、ノルマ達成のために自主的に行う場合もあるものの、上司や会社からの指示でノルマ未達成分の購入などを余儀なくされるケースが多いため、パワハラに該当するのは明白だ。そもそも、不要な商品の購入を強いるなどしていることから、「強要罪」にあたる可能性もある。また、バイク会社がディーラーに販売ノルマ未達分を自腹購入させたケースについては、公正取引委員会が独占禁止法違反(優越的地位の乱用)にあたるとして今夏から調査に乗り出すなど、自爆営業は法令違反にあたる悪質な行為で、許されないのは言うまでもないだろう。   ◆多分野で問題に 政府の規制改革推進会議で示された資料などによると、近年だけでも被害が発覚している自爆営業のジャンルは相当幅広い。 ▽大手コンビニで外国人労働者や社員らが恵方巻きやクリスマスケーキなどの季節商品を買わされる▽大手ファミレスの店長らが、アルバイトの注文ミスや作り間違えのあった料理の代金を食べたことにして負担させられる▽アパレル会社の社員が高級な制服の購入を強いられる▽回転寿司チェーンで食品破棄を減らすため余った料理を買わされる――など後を絶たない。コンビニの季節商品の購入強要については、問題を指摘したアルバイト店員がシフトを減らされたケースもあるというからたちが悪い。ネット上ではノルマをもじり、「ノルハラ」という単語が使われているくらいだ。   ◆自殺者も 自爆営業が原因とされる自殺者も出ており、事態は深刻だ。さいたま市の郵便局に勤めていた男性が自殺したケースについては、年賀はがき7000~8000枚の販売ノルマを達成するために自腹営業をしたことなどでうつ病を発症したなどとされ、2020年に労災が認定された。  近年はパワハラやセクハラに加えて、就職活動中の学生らが社員からセクハラを受ける「就活セクハラ」や、従業員らが顧客から過度の要求を受けるなどの「カスハラ(カスタマーハラスメント)」の対策強化が図られるなど、ハラスメントに対する社会の目は厳しくなっている。自爆営業について国が対策強化に乗り出すのは必然の流れだが、企業側の自主的な改善措置が求められる。必要悪で許されるはずがない。

令和の大発見か? 新たに出てきたファン・ゴッホ「ひまわり」の真贋 #3
令和の大発見か? 新たに出てきたファン・ゴッホ「ひまわり」の真贋 #3

令和の大発見か?最後の「ひまわり」が日本にあった!?  〝汚れた絹のハンカチ(この言葉を知っている読者はもういないかもしれない。光陰矢の如し。筆者注)〟こと藤山愛一郎は、この美術品を親分だった岸の計らいで個人所有してしばらくはそのままにしていた。近衛を管理していたのは、岸の指示で神奈川県大磯町の大川画廊なるところで為されていた。同画廊の主人が岸の出身地長州で 同郷の誼からここで管理保管しろとなったという。ところが、藤山はそれから10年近く経ってこの絵画を金に替える。その頃、藤山は叙勲を受けたりしているが、莫大な資産は自民党のためにそのほとんどが蕩尽されていた。藤山コンツェルンは、自民党のために潰えてしまう。藤山は、1970年、自民党のために最後の資金工作に走る。その最後の手段となったのが、他ならぬ「もうひとつのひまわり」だった。  その苦心の工作を物語るエビデンスがここにある。  1970年(昭和45年)の年賀状二枚。宛先は、住所は異なるが同一人物である。これはその人物が都内と神奈川県藤沢市の2カ所に住居を持っていたということである。一方、差出人はいずれも同じである。つまり、同一の宛先人、同一の差出人の同年の年賀状二枚ということである。宛先人は故人ではあるが、市井の人なので名前は避ける。差出人は、衆議院議員藤山愛一郎内となっている。つまり藤山の細君ということだ。ちなみに藤山の細君は久子(ひさこ)というが、この人は戦前の大蔵大臣、日銀総裁を務めた結城豊太郎が父親である。ただ、書かれた字を見ると、達筆でしかも力強い。とてもいわゆる女文字には見えない。このからくりはこの後すぐにわかる。  その年賀状には年初の挨拶とともに非常に興味深い文言が綴られている。 一枚目 『大磯の件ゴッホのひまわりは日本の浮世絵四点と交換した絵画のうちのひとつで未発表のものです。何卒よろしくお願い致します』 二枚目 『大磯の件、一日も早く整理致したく○○様(※宛先人の名前)にしか心当たりがございません。何卒よろしくお願い致します』  これは、考えるまでもなく、ゴッホの「もうひとつのひまわり」を担保にした融通のことを指している。差出人はあくまで藤山の細君になっているが、これは内容が内容だけにあえてそのような便宜を図ったのであろう。このような年賀状ともなるとこれが藤山本人となればやはり体裁を考えたのであろう。  二枚の同じ年に出された年賀状とともにもう一枚の書面がある。これがいわゆるこのゴッホを取り巻く一連の挿話のカウンターとなる。  その書面の書き手は、はっきり藤山愛一郎と綴られている。内の文字はない。小野書面には、次のように記されている。いうまでもないことだが、この書面の筆跡は先の二枚の年賀状と同じである。一目瞭然なのである。  『○○殿  金七○億円 也  但し、ファン・ゴッホ作「向日葵』五○号 代金として  昭和四六年一○月七日 藤山愛一郎』  藤山が所有していたゴッホの「ひまわり」は、この書面の宛先人が70億円で購入したのだ!藤山は自民党に捧げる最後の資金をかくして作ったのである。それにしても、1970年当時の70億円というのは今でいうならばいくらになろうか。年賀状での申し出から購入まで、二年近くかかっている。藤山は常に金の算段に奔走していたのである。中原中也じゃないが、汚れちまった〝絹のハンカチ〟。政治の恐ろしさをまざまざと見せつけられる思いだ。  ゴッホによる知られざる「もうひとつのひまわり」は、自民党という濁流の中でさんざん弄ばれたわけだ。そこには芸術もなにもない。あるのは欲望だけである。  藤山は結局買い戻しなどしていない。何もかも封印されてしまったのだ。藤山はこの6年後政界を退いた。  オランダからはるばる日本にやってきた「ひまわり」、ただ、美術史の片隅にも出てこない「ひまわり」。  この先人間の欲望の渦の中に巻き込まれたたくはない、もうたくさんだ、と倉庫の片隅でうずくまっているように思えてならない。  

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2024.11.23

令和の大発見! 今までに陽の目を見なかったファン・ゴッホの最後の「ひまわり」が日本に埋もれていた
令和の大発見! 今までに陽の目を見なかったファン・ゴッホの最後の「ひまわり」が日本に埋もれていた

もうひとつの「ひまわり」  件の「ひまわり」が、我が国に上陸したのは、1958年(昭和33年)10月のことである。東京上野の国立博物館でなんと内閣総理大臣主催の「ゴッホ展」なる催事があった。総理大臣は、〝昭和の妖怪〟こと岸信介。総理大臣主催のゴッホ展とはさすがに〝妖怪〟である。驚いたことにこのとき、我が国に130点ものゴッホ作品が集った。この際、妖怪こと岸総理大臣は、こんな挨拶を国民に向かって投げている。  今回我が国において、「ファン・ゴッホ展」が実現されましたことは私の深い喜びとするところであります。~中略~折からオランダにおきましては日本古美術展が開催され、大層好評を得ていると伝えられておりますが、このような芸術の交流こそ世界の協同(※原文ママ)を促進するもので、世界平和へ貢献するところは計り知れないものがあると言えましょう。~後略~  岸総理大臣がこの文面の如くファン・ゴッホの神髄を理解していたか否かはむろん問題ではない。なんといっても総理大臣主催でこんな大規模なゴッホ展が開催されたことに目を瞠るのである。このときの岸は、ゴッホ展の開催に躍起になっていたのだ。ゴッホ展は、すべて「ファン・ゴッホ展委員会」なる組織によって運営、実施された。同委員会のメンバー表を覗いてみよう。名誉総裁が高松宮殿下、名誉顧問に岸信介以下五人が名を連ねている。 藤山愛一郎(外務大臣 ※当時、以下も)、灘尾弘吉(文部大臣)、二名略、安井誠一郎(東京都知事)  55年体制時は、政治はいうまでもなく、経済、文化、何でもかんでも自民党が先頭立って事を進めていたことがこれでもよくわかる。政治の世界においてはまさに自民党にあらずんば、政治家ではない、というような様相を呈していたのだろう。自民党専制時代だったのである。ゴッホの作品にしても自民党のツールのひとつだったに違いない。  本稿主役の歴史から消された「もうひとつのひまわり」は、このときやってきた130点の中のひとつとして我が国に上陸した。ゴッホ展終了後、京都美術館に催場を移動し、京都美術館にてゴッホ展は催される。件の「ひまわり」も京都に。数奇な運命はここから急展開する。  総理大臣主催のゴッホ展は、すべての日程を終え、やってきた作品は帰国することになる。しかし、130点のうち4点だけが日本に残ることとなった。それは、日本の浮世絵4点(ゴッホは浮世絵に魅せられていたという有名な逸話が思い出されよう)と交換することに決まったからだ。まるで、プロ野球の大型トレードのような話だが、先の岸の挨拶をここで振り返って欲しい。『折からオランダにおきましては日本古美術展が開催され…』好評を得ていると述べている。つまり、このときオランダにおいて出展されていた我が国の古美術品のうち4点がトレード要員となったということである。その選定を誰がしたかは推して知るべしだろう。先のファン・ゴッホ展委員会である。それを裏付ける展開をこの後見せる。ゴッホ作品と浮世絵の4対4のトレードのうち、「もうひとつのひまわり」が、なんと岸の計らいで、藤山愛一郎の個人所蔵となるのだ。今ではこんなことは決して看過されることはないだろう。国費で持ってきた美術品をこともあろうに、〝計らい〟で、一政治家の個人所有になるとは。当時の自民党はなんをやっても許されたのか。政治倫理もへったくれもない。  ここからの「もうひとつのひまわり」は、急転直下、とんでもない運命の渦に巻き込まれる。

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2024.11.22

令和の大発見!誰も知らないゴッホの「ひまわり」が見つかった!? #1
令和の大発見!誰も知らないゴッホの「ひまわり」が見つかった!? #1

12点あるゴッホの「ひまわり」  フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」は、遍く名画の中でも我が国においてもっとも有名なもののひとつであろう。我が国には、複数存在する「ひまわり」のひとつがある。バブル華やかなりし1987年に安田海上火災(現損害保険ジャパン)がそれをロンドン・クリスティーズで落札、58億円を投じて我が国に引っ張ってきた時、そのことはあたかも事件の如く報じられたものだ。その時の同社社長だった後藤康男(故人)が、同社運営の東郷青児美術館(現SONPO美術館)の不入り打開策として強引にこの世界的名画のひとつを文字通り札束をたたきつけて同美術館の目玉に据えた。35年を経た今でもその〝目玉〟は、後藤が引っ張ってきたときのまま、同美術館に鎮座する。日本人にとって親しみ深い絵というのは、このことに由来する。遠くルーブル美術館まで行かなくては見られないシロモノではないのだ。  「ひまわり」は、この世に、7作とも11作、あるいは、12作あるといわれている。このうちどれが定説なのかははっきりしていない(※ひまわりが花瓶に挿してある構図、そうでない構図でお互いが別物扱いされているようだ)。第一作と言われるものは、1888年8月に南フランスのアルル、〝黄色い家〟にてゴーギャンとの共同生活時に描かれたとされている。この作品を皮切りに、半年あまりの期間でゴッホは7つの〝ひまわり〟を描き上げる。ちなみに、安田海上後藤が35年前に購入したのは、四作目とされている。あまりにも有名な「ゴッホ耳切事件」の後に描かれている(1888年12月)。このように、「ひまわり」7作品については、目下、極めて厳密な注釈と管理が施されている。  美術専門誌でもない本誌においては奇異に見えたかもしれないが、ここまでの講釈はこれから語る驚くべき事態を描く上で、最低限知っておかなければならないことなのだ。  ゴッホ作の「ひまわり」に、もう一点加わる、そして、それは実は長年我が国に眠っていた、としたら。まるで、ミステリー映画の惹句のようだが、そうではない。その「ひまわり」(50号)は、今、都内の財閥系倉庫の片隅に安住の地を得た如くひっそりと眠っている。持ち主は現存している。ただ、あまりにもセンセーショナルな事態だけに所有者は頑なに沈黙を守っている。これからもこの状態は保たれていくだろう。数少ない関係者からのインフォメーションをつなぎ合わせてみると、この「もうひとつのひまわり」は、目を剥くような逸話がまとわりついていた。いわゆる、55年体制下の自民党のおもちゃにされ、時には人前にさらされ、あるときには、総裁選の軍資金に化けたりした。なんとも数奇でおぞましい運命に翻弄されているのだ。その運命の変遷は下手な大河ドラマよりも面白い。

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2024.11.21

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