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佐野慈紀のシゲキ的球論    ロサンゼルス・ドジャース大谷翔平の〝魔球・カーブ〟本格解禁に「オオタニサーン! 素晴らしすぎます」
佐野慈紀のシゲキ的球論  ロサンゼルス・ドジャース大谷翔平の〝魔球・カーブ〟本格解禁に「オオタニサーン! 素晴らしすぎます」

投手・大谷がリーグV&ポストシーズンに向け、着々と準備を進めている。先月28日の登板では5イニングを投げ切り、749日ぶりに投手として白星を上げた。    佐野氏が「僕はこの球が実は決め球クラスの精度を誇っていると思います」と前々から訴えていたのが「大谷のカーブ」だ。28日の登板では全87球の内、23球がカーブだった。   「それまではあまり投げていなかったので、いつ投げるんだろうと思っていたら、ついに解禁ですね。まっすぐは100マイル、スイーパー、そしてカーブ、すべてが超一級品です。どこまでいくんや! って感じです」と感服するしかない。    最後には「ポストシーズンに向け、球数100球前後投げるようになってくると楽しみですね!」とさらなる進化を期待した。

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2025.09.05

蔦重、神道・仏教・儒教を合わせた「心学」ブームに乗る
蔦重、神道・仏教・儒教を合わせた「心学」ブームに乗る

 寛政の改革は、また「心学」というジャンルのブームも巻き起こした。心学というのは、日常 生活の中で自分の倫理強化を目指す社会運動のようなもの。松平定信も聴講し高く評価してい ると噂された中沢道二という心学者がその中核だった。その教えは石門心学とも呼ばれ、神道 ・儒教・仏教を融合し、庶民から武士、大名まで幅広い層に影響を及ぼしたという。 蔦重も中沢の『道話聞書』をリリース。これは後で『道二翁道話』と改題して再販されている 。さらに中国の儒教の教えに基づき、特に優れた孝行を示した24人の親孝行の物語を絵本形式 でまとめた『絵本二十四孝』も手掛けたとされる。 もっとも同じ時期、1790(寛政2)年に出した『即席耳学問』という黄表紙の中で「例の教訓異 見のうつとうしいも随分承知之助と~」と相変わらず「うざってえな」とばかりに幕府の方針 をクサしているのは蔦重らしいが。 当時の黄表紙全般には、やたら「教訓読本」と銘打ったものが多かったとか。よく似たタイト ルが氾濫する近年のビジネス書・自己啓発本と同様、ブームにはしっかり便乗する出版人の伝 統だろう。 さて、黄表紙・洒落本・狂歌本で出版史にその存在を決定づけた蔦屋重三郎だが、そのもう一 方――浮世絵というジャンルにおいては、この厳しい処罰を受けた後に本格的に動き始める。( つづく) 主な出典:鈴木俊幸『蔦屋重三郎』平凡社      別冊太陽『蔦屋重三郎の仕事』平凡社

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2025.09.04

好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.41『池波正太郎みたいな一日』
好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.41『池波正太郎みたいな一日』

 池波正太郎みたいな一日を送ろうと思った。といっても、何も時代劇の格好をして街を歩 き悪を裁く訳ではない。先日、俺は『池波正太郎銀座日記』という本を読んだ。その一日 は、昼間は映画の試写会。そして、美味い店で酒と料理に舌鼓を打つ。帰宅すると、仮眠 を取って、夜から執筆。夜中に自宅で、また美味い物を食べ、朝方まで執筆。睡眠薬を飲 んで寝る。日々楽しそうで、いい人生だなぁと思ったが、ふと、略歴を見たら享年67歳 。え?写真は87歳位に見える為、もっと長生きしたのかと思っていた。年齢を知った上 でもう一度読み返したら、解釈が変わってきた。不規則な生活と美食と睡眠薬は不健康極 まりない。睡眠と食事がいかに重要かを改めて考えさせられた。こんな日常だったから数 々の名作は生まれたのかもしれないが、もっと生きて欲しかった。 俺はさっきまで池波正太郎に憧れていたが、急に羨ましくなくなった。 今日はいつもより早く寝ようと思った。

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2025.09.03

佐野慈紀のシゲキ的球論    DeNA・藤浪晋太郎投手が3年ぶりにNPBで勝利! 佐野氏は「頭から動く悪い癖が修正されていた」
佐野慈紀のシゲキ的球論  DeNA・藤浪晋太郎投手が3年ぶりにNPBで勝利! 佐野氏は「頭から動く悪い癖が修正されていた」

 ハマの藤浪が勝利の雄たけびを上げた。2度目の対戦となった先月31日の中日戦(横浜スタジアム)で7回無失点の力投。ピンチの場面もあったが粘りの投球でしのぎ切った。    佐野氏は「ほとんど抜ける球はなかったんじゃないですか。体重移動がすごく良くなってましたね」と指摘する。    以前から佐野氏は「頭から動くとコントロールが定まりにくい」と話していたが、この登板では「しっかりと下半身から始動できていた。頭から動くと、体の構造上、腕は横ぶりになってしまうんです。それを下半身から動くことで腕を縦に使えていた」(佐野氏)とバランス良く投げていた。    一番の武器、スライダー(カットボール)もキレが出ていた。「本人はカットボールと話していますが、軌道はスライダーですよね。左打者のひざ元に決まった時、あれだけ空振りを取れていた。右打者だったら、もしかしたら見えないかもしれません。いい球です」と右打者相手にも有効だという。    激しいCS争いを繰り広げるDeNAにとって、心強い存在となりそうだ。

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2025.09.03

財産を半分失った蔦重が書物問屋株を手に入れた理由
財産を半分失った蔦重が書物問屋株を手に入れた理由

蔦重は幕府が主導した文武両道の奨励に乗って、同じく北尾重政の描く武者絵本のシリーズ3点 を次々とリリースした。松平定信が老中首座に就いた翌年の1789(寛政元)年には『歴代武将通 鑑』を、翌1790(寛政2)年には『絵本武将記録』を、1791(寛政3)年には『絵本武将略伝』を 、という具合である。 1点目の『歴代武将通鑑』の冒頭には、蔦重本人がしれっと「幼い子どもたちに、歴史を教える ための書物です」という真面目な文言を寄せている。同じ年に、文武奨励を盛大に茶化した『鸚 鵡返文武二道』をリリースした版元とは思えないが。 一方で蔦重は1791(寛政3)年に書物問屋の株を取得する。黄表紙・洒落本といった地本の先行 きが見込めぬ以上、堅めの出版物に手を広げるのは必然の判断である。 1794(寛政6)年の『略解千字文』、これは古代中国の漢字教育教材「千字文」に注釈や解説を 加え、読みやすく理解しやすいようにした入門書・注釈書である。1797(寛政9)年の『孝経平 仮名附(こうきょう ひらがなつき)』は中国の儒教経典『孝経(こうけい)』を、原文漢字に 平仮名を添えて読みやすくした注釈・活用の教材だった。 もっとも、株の取得の目的はこうした教材や医学書・漢籍など手堅い書物を出すためというよ り、江戸中心の地本問屋とは異なり京都・大阪とも安定的に繋がっている書物問屋の流通に関わ ることだった、というのが専門家の見立てである。(つづく)

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2025.09.01

椎野礼仁のTANKA de 爺さん 第22回 家無き男たち 高田馬場編
椎野礼仁のTANKA de 爺さん 第22回 家無き男たち 高田馬場編

家無き男 高田馬場編 あの男も高田馬場は長いなあ 鉄腕アトムの壁にもたれて 朝は壁、昼はガードに陽を追って。眠りこけてる? 哲学してる? おお髪を切ったなあいつ、おっ髭は剃らずにそのまま おしゃれでしたか 東京は午後から雪の予報だぞ それを知るすべ持っているのか あの男こちらの顔を覚えたかチラ見してるとよく目が合った 貴種流離の果てかと思い巡らせば たちまち砕けるそのだみ声だ 高田馬場には常連のホームレスがいた。たまに二人になることもあったが、シマの掟があるのか、すぐ、その男一人になる。日の当たる場所を選んで、壁やガードレールに日がな一日、持たれている。本でも読まないで退屈じゃないのかと思うが、見たことはない。 歩くときは、右手に潰れた空き缶が詰め込まれたビニール袋。左手には、煮しめたような真っ黒な毛布を、いつも抱えていた。 それが、ここ1年程前、ぷっつりと姿が見えなくなった。河岸を買えたのか、行政の追い立てを食らったのか、あるいは・・・

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2025.09.01

大阪ロマンボーイズ その11 俺らはロマンボーイズ
大阪ロマンボーイズ その11 俺らはロマンボーイズ

野球同好会に顔を出すのは徐々に試合のある日だけになっていった。試合にも強く、後 輩にも強い3回生の先輩たちが就職活動で忙しくなりチーム内に気の緩みが蔓延していた からだ。2回生の先輩たちは後輩に強く指導できるような人はいない。高野さんを筆頭に へたくそ過ぎて1回生にもへなちょこ扱いされる始末だった。唯一、藤井さんは主将でピ ッチャーを務める中心的な役割をこなしていたが、その他の先輩たちは案山子以下の存在 と言っても言い過ぎとは思わないレベルであった。うるさい先輩がいなくなると容易に箍 が外れる俺だから興味は野球ではなく音楽や酒や女性に流されるようになっていた。 当時、西宮から引っ越して神戸市の灘区の六甲に住んでいた。阪急六甲駅から徒歩で5 分ぐらい南に下った宮前商店街の入り口にある雑居ビルの中にある〝春待ち疲れバンド″と いう店に通うようになった。店の名前にはバンドとあるが実際には小さなバーである。そ こで10歳以上年上の藤原さんと懇意となった。藤原さんはそのバーで、アコースティック ギターで弾き語るスタイルのライブを毎週のように行っていた。藤原さんは内装の職人ら しいのだが仕事よりもパチンコの方が忙しそうだった。パチンコの次は音楽である。奥さ んもいるのだが、パチンコや音楽、酒よりもプライオリティーが下だったようだ。 藤原さんとは60年代後半から70年代前半のフォークブームの頃の歌手が好きだという俺 との共通点があった。藤原さんは大のNSPファンだったが、俺はNSPのことは良く知 らない。俺が好きなのは加川良や泉谷しげるや佐渡山豊や高田渡だった。俺は中高生の頃 に長渕剛が好きだったのだが、その長渕剛が加川良や泉谷しげるのファンだったと知って 俺も聞くようになったのだ。俺と藤原さんはフォークという括りでは音楽性は一致してい る。そして、アコギでの弾き語りを志向するのも同じだ。いつしか、俺と藤原さんは〝大 阪ロマンボーイズ″というコンビを組んでいた。神戸に住みながら大阪ロマンボーイズはお かしいと藤原さんに抗議したのだが、藤原さんが大阪住まいだったことから藤原さんは頑 として譲らなかった。 「藤原さん、大阪ロマンボーズっておかしいですよ、俺は神戸に住んでいるんだし」 「何がおかしいんや、神戸は大阪に含まれているんやぞ」 「んなあほな、神戸は兵庫県ですよ、俺は大阪に住んだことはないですし」 「じゃあ、解散するか?」 「解散って、まだ一度もステージに立ってないし、一曲も作ってませんよ」 「そっか、じゃあ、一曲作って一回ステージに立ってから解散しようぜ」 「えらく短命ですね」 「解散したら阪神ロマンボーイズを組めば良いんだよ」 「なるほど、そういうことですか」 そんなわけはない。だったら最初から阪神ロマンボーズでいいじゃないか。まったく理解 も同意も出来ないが藤原さんが年長者だという理由だけでその提案を承諾しておいた。  この大阪ロマンボーイズは大した活動をしていなかったのだが、某楽器メーカーが主催 する音楽コンテストに参加した。理由は簡単である。コンテストに出場する予定者はその 楽器メーカーが運営するスタジオの利用料が無料になるというので出場予定だと嘯いて無 料でスタジオを利用した。スタジオ利用時にはスタジオを利用して収録したデモテープを 提出しないといけないルールになっている。しようがないから「ブギウギトゥナイト」と いう世にも恥ずかしい曲を適当に収録して提出して帰った。歌詞にイエイエイとかウォウ ウォウを多用した情けない曲だ。曲先で作曲し鼻歌の延長上で作詞したのだからいい加減 この上ない。後にこの曲によって更に恥ずかしい思いをさせられることとなる。(続く、 坂本雅彦)

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2025.08.31

寛政の改革に逆らわずに「乗った」蔦重の出版物もあった
寛政の改革に逆らわずに「乗った」蔦重の出版物もあった

 松平定信は老中就任後、孝行息子や節操・貞操を固く守る女性を顕彰し、かつそうした孝行・ 節義・忠節の持ち主を全国調査し、その事例を集めた『孝義録』という記録集の編さんを始め ている。最終的に全50巻に及んだ同書は、10年後の1801(享和元)年に刊行された。 そんな世相の中、蔦重という大物版元と山東京伝という人気作家に課された重いペナルティ。 あからさまな見せしめに、地本の版元に自粛ムードが漂ったことは想像に難くない。 しかし、幕府が主導した風紀の粛清と文武両道の奨励は、実はまったく別の出版物のニーズを喚 起したのだ。もちろん商売人・蔦重はすかさずそこに食い込んだ。 蔦重が手掛けた書物で、幕府の尚武の奨励にフィットしたのは武者絵本だった。日本や中国の 古今の英雄・武将の一代記や、合戦での奮戦ぶりを絵入りで語ったもので、これは年齢・性別 を問わず、江戸初期から幕末までニーズの途切れなかった息の長い出版物である。ヒーローもの はやはり時代を問わない。 蔦重は処罰を受ける前、すでに1786(天明6)年、武者絵本に狂歌を組み合わせた『絵本八十宇 治川』、翌1787(天明7)年には美麗な彩色摺りの『絵本武者絵』をリリースしていた。絵を描 いたのは長年のブレーン・北尾重政だった。(つづく)

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2025.08.28

好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.40『サーカス』
好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.40『サーカス』

若い頃、サーカスに入ろうと思ったことがある。 なぜそんな夢を抱いたのかというと、求人誌に団員募集と書かれていたからだ。当時の求 人誌はコンビニ店員募集などの流れから、急にそのような非日常の職業が掲載されている ことがあった。 「う~ん、コンビニかサーカスか?」 と有り得ない二択を迫られた俺は、昔テレビで観たサーカスを思い出し、なんだかとても 楽しそうだったなぁ、という理由で問い合わせの電話をした。 「もしゅもしゅ」 出たのは、やけに訛りのある男だった。喋り方が寺山修司に似ている。そういえば寺山は サーカスみたいな演劇をしていた。 早速、俺は仕事内容を聞くと、 「家を一歩出れば、そこはもうシャーカシュ」 と寺山は答えた。そう、住み込みである。俺は軽い気持ちだったと反省して電話を切った 。だが、その後しばらく後悔した。 今年48歳の俺はサーカスは体力的に厳しい。あの時挑戦すべきだったと、振り返って、 やっぱり後悔している。

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2025.08.27

好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.39『ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ』
好評連載『俺の名前は三遊亭はらしょう』vol.39『ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ』

 芸名が「はらしょう」なので、よく、ロシア語が由来かと聞かれるが、関係ない。し かし、そういう芸名だからか、ロシアには縁があるようだ。 先日、俺が住んでいる練馬区に五味康祐という作家がいたことを初めて知った。 剣豪小説を多く執筆し、クラシック音楽評論家だった五味康祐が、生前コレクション していたオーディオでの演奏会が、練馬大泉学園で定期的に開催されているようだ。 次回のレコードは、ロシアを代表する作曲家ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムス キー=コルサコフという、舌を噛みそうな名前の音楽家である。 この人も初めて聞いたが、ちょっとまてロシア!さすがはらしょう、練馬からロシア に繋がるとは!早速、俺はアップルミュージックで聴いてみた。 ハマった!俺はこれほどまでに映像的な音楽を聴いたことがなかった。さらには物語 まで感じた。今度、五味康祐のオーディオでニコライ・アンドレイェヴィ、ああ、嚙 む前に早く聴きに行きたい。

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2025.08.25

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