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大河ドラマ「光る君へ」その後――武士はいつ誕生したのか
大河ドラマ「光る君へ」その後――武士はいつ誕生したのか

NHK大河ドラマ『光る君へ』が全48回の放映を終えた。『源氏物語』の作者・紫式部と、最高権力者・藤原道長を中心に平安貴族の世界を描き、例年とは異なる女性層の視聴者を得、おおむね好評だったと言われている。 今回で63作目を数えた大河ドラマ。初の源平の戦いである保元の乱(1156(保元元)年)より150年近く前、大きな戦の起きなかった時期を扱う異例の試みだったが、物語終盤に突如として血生臭いエピソードが飛び込んだ。中国東北部の女真族(刀伊)が海賊と化して、壱岐・対馬と北九州沿岸を襲った、いわゆる刀伊来寇である。 1019(寛仁3)年3月28日、1隻につき数十人の賊徒が乗った約50隻からなる刀伊軍が突然対馬を襲撃、殺人と放火を繰り返し、次いで壱岐もその手に落ちた。モンゴル軍が最初に襲来した文永の役(1274年)の実に255年前である。 その惨劇はその日のうちに対馬・壱岐の双方から筑前・大宰府に向けて通報が出されたが、実際に到着したのは4月7日。その頃には刀伊はすでに現在の福岡県北西部付近に上陸。怡土(いと)、志摩、早良で老人・子どもを殺し、牛や馬を食い、方々に火を放ち、無抵抗の男女は船に連れ込まれたという。 『光る君へ』のドラマの中では、大宰府に派遣されていた道長の甥・藤原隆家が奮闘し、撃退したことになっているが、この戦いは当時まだ歴史に登場していなかった「武士」という階級の登場に少なからず関わってくる。(つづく)   ※主な参考文献 関幸彦『刀伊の入寇』中公新書

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2024.12.19

連載小説 「大阪ロマンボーイズ」第4回 坂本雅彦
連載小説 「大阪ロマンボーイズ」第4回 坂本雅彦

トルコを旅行中のある日、こんなことがあった。 「おい、坂本、アンカラって思ったより遠いな」 「そうですね、4時間近く乗ってるっすよ」 「長すぎるよな」 「そもそもイスタンブールからアンカラに行くのになんで国際線なんでしょうね」 「・・・・あれ、坂本、これアンマンって書いてあるぞ」 「アンマンってどこですか」 「しもた、アンカラとアンマンと間違ってチケットを買ったんじゃ」 アンカラに行ってブルガリアやモロッコのビザを取得するだけなのに間違ってヨルダンの アンマンに行ってしまったこともあった。ワイルドだろぉ、で済ますには大き過ぎるミス だった。そのミスよりも、若狭さんはアンマンのイミグレーションでエロ本を没収された ことの方が悔しかったようだ。安宿のベッドの中で若狭さんのすすり泣く声が聞こえたよ うな、そんな気がした。 若狭さんは倉敷の仕出し屋の息子で聞くところによると相当のボンボンである。妹も神戸 に住んでいるがやくざと結婚してしまって両親を怒らせてしまったようで、お金持ちの両 親の寵愛を彼が一身に受けることになったということらしい。若狭さんはバイトは一切し ていない。大学の授業も受けない。とにかく、寝ているか、酒を飲んでいるか、麻雀をし ているか、という生活だった。いつ若狭さんの部屋に行ってもいるので俺たちの溜まり場 になっていた。ときどき居留守も使うのだが、「一生、結婚できないお前に女を紹介して やるからこのドアを開けろ」と藤田さんや椎野さんや高野さんが呼びかけると簡単に屈し てドアが開く。若狭さんは好待遇の大学生活を4年で終わらすにはもったいないと言って 単位をわざと取らずに温存していた。大学から首を言い渡されるまでは留年するといきが っていた。

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2024.12.15

大阪ロマンボーイズ 坂本雅彦
大阪ロマンボーイズ 坂本雅彦

「坂本、お前は戦争に反対するのか」 「はい、もちろん、戦争なんてしないにこしたことはないと思うっす」 「何を生ぬるいことを言うとんねん」 「え、どういうことすか」 「俺はな、戦争反対に反対しとんねん」 「というと、戦争賛成なんすね」 「違うわ、戦争反対っていう口だけ野郎が嫌いなんじゃ」 「ん?」 「戦争反対に反対するというのは、自衛隊なんかを持ちながら言うことではない、攻撃も防御もなく、丸腰で戦争反対を叫べと俺はいうてるんや」 椎野さんに深入りしてはいけないと俺は反射的に感じていた。 椎野さんと若狭さんと三宮で朝まで飲んだ帰り道のことである。椎野さんは阪神電車で帰るが、俺と若狭さんは始発の阪急電車で帰るので駅の周辺で別れた。三人ともしこたま酔っぱらっていた。椎野さんと別れた数十秒後に〝ボン″という低く鈍い音がした。すかさず振り返った俺と若狭さんの目に人の身長くらいの高さの火柱が上がっている光景が飛び込んできた。そして、その火柱の向こうに背を向けて歩いていく椎野さんの姿があった。俺はそれから数日間、三宮での火事が報道されていないか新聞の地域面をチェックしていたが結局そのような記事は出ていなかった。これは椎野さんが酔うと言い出す〝カクメイ″というやつなのか。人は見た目に寄らない。大人しそうに見える彼はカクメイの戦士としてひっそりと生きて行くのだろう。 高野さんは大阪は平野区の金融屋の息子である。藤田さんほどではないがそこそこの金持ちの息子だ。最新のスカイラインを乗り回していた。実家住まいだが、大学の近くに月極の駐車場を借りて自家用車で通学をしていた。野球同好会の先輩だったが野球は凄まじくへたくそだった。 「高野さん、なんであんな平凡なライトフライを落球したんすか」 「太陽がまぶしかったんでグローブをかざしたら、グローブが邪魔でボールが見えなくなって」 「グローブが邪魔って?グローブでボールを捕るんすよね」 「おい坂本、それだけじゃないぞ、グローブは視界からまぶしい太陽光線を遮る役目もあることを忘れてはならん」 高野さんは人一倍の負けず嫌いであるが、人一倍のどんくさい人物だ。打つのも走るのも捕るのもへたくそだが、理論と知識だけは誰よりも詳しい。高野さんは大学とアナウンサーの養成学校とダブルスクールしていた。俺たちは高野さんが局アナになるなんて不可能なことだと思い込んでいた。それは高野さんがとても強い天然パーマだったことから、モザイクなしには放送できないという藤田さんの論を支持していたからだ。ところが高野さんはフジテレビ系列の岡山放送のアナウンサーに採用されたのだから驚いた。現在は局アナは辞めたそうだがスポーツ中継を中心にフリーアナウンサーとして活躍しているようだ。 若狭さんとは野球同好会から姿を晦まし、3回も一緒にバックパッカーの旅に出る仲だった。香港、マレーシア、シンガポール、タイ、インド、パキスタン、ネパール、トルコ、ブルガリア、ロシア、モロッコ、マリ、シリアなどロンリープラネットという情報本を手に渡り歩いた。まだ猿岩石が〝進め電波少年″という番組でバックパッカーの旅をする前のことだ。俺も若狭さんも沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで感化されていたのかもしれない。旅先で喧嘩して別行動したこともあったが帰りは結局一緒に帰国した。タイでは睡眠薬強盗に遭って二人で一文無しになったこともある。その時は東京銀行バンコク支店の支店長さんが日本への国際電話を提供してくれた。俺と若狭さんはそれぞれ日本の実家に電話で送金を頼むことが出来た。支店長さんは即席でパスポート番号を口座番号に見立てて俺たちへの送金を受け取れるように融通してくれた。今でも感謝している。

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2024.11.24

『大阪ロマンボーイズ』第2回 坂本雅彦 
『大阪ロマンボーイズ』第2回 坂本雅彦 

俺を取り巻く陽気な面々   俺は相変わらずコンビニバイトを続けながら大学での授業はサボりがちで、野球に興じたり、2年先輩の藤田さんや1年先輩の椎野さんや高野さんや若狭さんといういつものメンバーで酒盛りや麻雀にふける毎日だった。同級生の坂田は野球同好会の仲間でいかつ過ぎる強面をキャッチャーマスクで隠していた。岡崎と駒井も同級生で同じ野球同好会の仲間であったが、とにかく野球が下手過ぎる。この二人の役目は部員のアッシーであった。車を試合の都度に出してくれるのはありがたい存在である。大学から目と鼻の先に下宿している若狭さんの部屋が俺たちの溜まり場だった。 藤田さんは愛媛の有名企業の御曹司だった。お金には苦労しないボンボンであるが、その反動かどうかはわからないが苦学生にあこがれていたようで、ジャージにどてらを羽織って下駄を鳴らしながら三宮を歩きまわる変人だった。 「おい坂本、親に金をせびる方法を教えてやろうか」 「是非とも」 「親に適当な資格試験の講座を申し込みたいから金をくれって言うんじゃ」 「え、でもそんなこと言ったら資格を取らないといけなくなるじゃないっすか」 「別に取らんでもええんよ」 「え、なんでっすか」 「なんでももくそもない、落ちたことすればええんやから」 「そんなんで許されるんすか」 「諦めんかったことにしたらええんじゃ、来年も頑張るから受講料をよろしくって言っておけば上等じゃあ」 「え、同じネタで2年もせびるんすか」 「同じネタなのがええんよ、諦めずに頑張っとる風になるんよ、評価がむしろ上がるわい」 藤田さんは毎月家賃とは別に20万円の仕送りを実家から受け取っている。なのに、毎月会計士などの資格試験の講座の受講料と称して更に数万円を実家からせびっていた。藤田さんからよく酒をご馳走になっていた俺はその恩恵を享受していた一人である。 椎野さんは1年先輩であるが2浪しているらしく藤田さんと同い年である。この男は深入りしてはいけない。酒に酔うと妙な国家論をぶち始める。右翼なのか左翼なのかもわからないが、オタクっぽい風体からは想像できないような攻撃的な主張を始める。

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2024.11.11

『大阪ロマンボーイズ』 坂本雅彦
『大阪ロマンボーイズ』 坂本雅彦

第一章 甲南遊園地の日々 プロローグ ~1990年春~ 俺は大学2年生。麻は同学年ではあるが短大に通っていたので俺より早く卒業時期を迎 えていた。俺と麻はバイト先のコンビニで出会った。麻は所謂、流行りの女で梅田の MAHARAJAの丸ビル店やRADIO CITYによく出入りしていた。紫系のボディコンのような スーツをまとい、ケバい化粧をして良く出かけていた。俺はというと大学の野球同好会に 所属し、小学生の頃からしていた野球をなんとなく続けていた。大学に入って覚えたこと と言えば酒とたばこと海外旅行と麻くらいもの。とりわけ麻は刺激的で一緒にいるとトレ ンディドラマの中に生きていると錯覚することもあった。 麻は俺と同棲してからはすぐにコンビニバイトを止めて夙川駅前のワンダフルバーとい う店にバイトに行くようになっていた。バーとは名ばかりで実際にはボックス席が中心の ラウンジのような店だった。今でいうキャバクラに近い。まだバブル経済が続いていた最 中であったことから効率よく稼ぎたかったことと、もう一つ理由がある。麻は酒が大好き だった。そして、酒に強かった。酔いつぶれたところを見たことが無かった。確かに麻は コンビニバイトより水商売でのバイトの方が向いている。飲んで遊んで買い物して、流行 と娯楽に明け暮れる麻には女子大生という免罪符が与えられている。その女子大生が流行 を牽引し、景気を左右する存在であった。つまり、麻は時代の最前線にいて、俺は麻を通 じて流行の端くれにしがみついていたに過ぎない。未熟な俺にとって麻は1990年を生きる 大いなるモチベーションになっていた。

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2024.11.02

「未知との遭遇」はあまりに早すぎた 田中マルヲ
「未知との遭遇」はあまりに早すぎた 田中マルヲ

スピルバーグ渾身の黙示録 「未知」という言葉がある。未だ(誰も)知らないこと・ものを表すこの言葉には無限の可能性が秘められており、エンターテインメントにおいては格好の題材だ。 しかし、まだ知らないものを生み出し、それを人々に表現することは本当に可能なのだろうか。 当然といえば当然だが、我々の知覚の中にあるものは「未知」ではなく、「既知」の物として扱われ、もし創作物の中で「未知」を扱う際には、我々は「既知」の言葉や道具を用いてそれを表現しなければならない。「未知の見た目」なのか、「未知の動き」なのか、またはそれ以外の要素か。 クリエイターは、自身知識の内に在る物を使って、知識の外にある物事を表現えざるを得ないという、強烈なジレンマと向き合わなければならない。その中で、今日においても世界的なトップクリエイターとして活動するスティーブン・スピルバーグは、一九七七年公開の『未知との遭遇』で、彼なりの「未知」を表現することに成功している。今回は『未知との遭遇』を題材に、彼が「未知」を見せるにあたって映像に込めた工夫を考える。  ある日、一九四五年に行方不明となった筈の戦闘機が砂漠で発見される。当時と寸分違わぬ姿で発見されたそれらは、調査団を困惑させた。時を同じくして、アメリカでは謎の発光体が目撃され、大規模な停電被害が発生していた。主人公ロイ(リチャード・ドレイファス)は発光体(UFO)によって奇怪な現象に巻き込まれ、UFOの放つ光を浴びて以降、狂気的なまでにその存在に固執する。少年バリー(キャリー・ガフィ)とその母親ジリアン(メリンダ・ディロン)も同様の現象に遭遇。UFOの光を浴びた者は全員、脳内に山のような物体のイメージが焼きついて、クリームや絵画でそれを描こうと試みていた。UFO学者ラコームらは宇宙からの信号を発見し、解析を行う。信号が地球の座標であることを突き止めた彼らは、その座標にあるワイオミングのデビルズタワーにて宇宙人との本格的な接触を試みる計画を立てた。ロイとメリンダは、頭の中のイメージがデビルズタワーである事を確信し、自らの求める答えがあるとそこへ向かうこととなる。多数のUFOが現れ、彼らと交信が成功したかに思われた矢先、巨大な母船が出現。そこから現れたのは、行方不明になっていた地球人の姿だった。彼らとの再会に驚くのも束の間、中から母船の主が出てくる。ロイは何かに惹かれるように彼らと共に船内へと乗り込み、母船は地球を去る。 「光」の効果 本作の「未知」の存在を表す上で、真っ先に語るべき要素は「光」の効果であろう。明暗を意図的に使用することによって、視覚的なインパクトや、狙い通りの感情を引き起こしたりするように、光が映画の中で重要な役割を果たしている例は非常に多い。とりわけ本作では、光の強弱が主人公や観客に大きく作用していることは疑いようがない。ここでは、頻繁に用いられた「光」の働きから見出せる「未知」と「既知」の境界について分析していく。  まず、本作において、UFOが現れる際の時間帯に注目したい。実は、怪奇現象が起こる時間帯は昼夜を問わないのに、UFOそのものの存在が認識される時間帯は、極端なまでに夜に限られる。しかも、街全体が停電に陥るなど、人工的な光すら遮断される場合がある。灯火の無い暗闇に現れたUFOは、その強力すぎる光によって、見た人々の顔を日焼けさせてしまう訳であるが、何故それ程までの光を用いらなければならないのかという疑問が拭えない。最後にUFOの母船が出現するまで、UFOの詳細なフォルムは確認するのが難しい。暗闇の中で、我々の目には刺激が強すぎるレベルの光を発しながら移動していくものだから、ぼんやりとした輪郭くらいしか捉えきれないのだ。私はここに、人類と「未知」の線引きを作っていたのではないかと考える。UFOの眩い光は、その眩しさ故に目を瞑らざるを得ず、人類の知覚では入りきらない存在、つまり「未知」の存在を示唆しているに他ならない。いわば、光の強さで「未知」の領域の絶対不可侵性を表現しているのである。  強い光を不干渉や不可侵の象徴と位置付けるならば、弱い光はその逆の受容や許容といった、繋がりの意味を持つ。終盤、音による交信を試みる際のUFOの光量は、序盤に比べて明らかに目に優しいものとなっている。目を覆わざるを得なかった人類が、UFOの集団を凝視しながら交信を試みる姿からも、UFOと人類が融和しようという姿勢が窺える。「未知」が「既知」のものとして、人類の知覚に入り込もうとする瞬間がカメラに収められている訳である。一連の集大成とでも言おうか、巨大な母船が姿を表した際には、その詳細なフォルムを観客ははっきりと目に入れることができる。光が視界の邪魔をすることがなく、初めて最初から「未知」を人類の知覚で認識できるシーンなのである。 一方で、UFOの扉が開いた際には、その内部はまたも強力な光によって見ることができなくなっている。 このことから、人類とUFOは、表面的な相互理解に成功したものの、まだ内部に入り込むほどの深い交流に至っていない関係であることが推察される。内部の光によって、出てきた人類は最初、シルエットのみでしかわからない。 段々と光の弱い場所に行って姿が確認できるという過程もまた、「未知」から「既知」へのシークエンスを順当に踏んでいる。 主人公のロイが光の船内に入り込むのは、人類の「既知」から作り出された「社会」から解き放たれ、その外側の「未知」へと旅立つといった意味が内包されている。 『未知との遭遇』とは、我々の手に届かなかった「未知」が「既知」の領域に降り立ち、人類が新たな知覚(知見)を手にすることが出来る過程を丁寧に描いている。  光彩効果とは他にもう一つ、カメラワークについても言及しておきたい。特に登場人物の顔を写した際のズームインとズームアウトの使い分けは、人が「未知」に触れるその瞬間の没入感を際立たせている。 まずはズームインについてだが、これはかなり意図が明確と言える。被写体を大きな情報から小さな情報へと集中させていくことで、その小さな被写体の意識や感情と、観客のそれを一致させていこうとする動きだと考えられる。 注目してもらいたい対象以外の雑多な情報を排除する事によって、よりわかりやすく明確な心的描写を観客に見せることが出来るのだ。一方でズームアウトは、「個」に視点を注目させたい動きのズームインとは逆で、「集団」だとか「多数」を見せたい時に用いると考えるのが妥当だ。 本作の主人公ロイは次第に社会から爪弾きにされてしまうように、普通とは違った人間として描かれている。 このことから考察すると、「普通の集団」のなかに一人それとは違う人間を置き、全体をカメラに納める事によって、より一層その異質さや違和感が際立つ。つまり、ズームアウトという手法は、「集団全て」を写したいのではなく、その中にいる「個」を強調せんがために行われている。 一見真逆の方法でも、映したいものは一貫されており、なおかつカメラという機械知覚ならではのアイデアを効果的に使っている良い例だ。 ここまで光の使い方やカメラワークについてとりあげ、いかにして本作の「未知」が生み出されているのかを述べたが、実のところ、最終的に出てくるUFOや宇宙人の姿は、これまで様々なメディアで数多く取り扱われてきた見た目であり、我々観客が「未知との遭遇」体験をしているわけではない。 あくまで登場人物にとっての「未知」であり、その衝撃や混乱、冒険をエンターテインメントとして我々が鑑賞するという形になっている。 ただ、その「未知である」という体を最後まで崩すことなく物語を進め、一種のスペクタクル的な要素も含めたエンターテインメント作品として昇華させてしまうその手腕こそ、スピルバーグが映画界のトップに座する理由だろう。

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2024.11.02

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