連載•小説
さて、ここで再び耕書堂を立ち上げた蔦屋重三郎――蔦重の出版ビジネスに話を戻そう。 1781(安永10)年、『繪草紙評判記(えぞうしひょうばんき)』、通称「菊寿草」という冊子が出た。これは草双紙の評判記、つまり批評と格付けである。この年に出された黄表紙全部を7つのジャンルに分け、個々の作品について「極上上吉」「上上吉」などとランク付けしてある。 蔦重が一気に黄表紙を含む15種類もの出版物を出したのはその前年の1780(安永9)年だが、翌81年にも黄表紙7部を出版している。そのうち朋誠堂喜三二著・北尾重政画?の『栄花程五十年/蕎麦価50銭/見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』、同じく喜三二著、北尾重政画『息子妙案/一流万金談』と『鐘入七人化粧/漉返(すきかえす)柳黒髪』の3作品はいずれもヒット。『菊寿草』の3つのジャンルの第1位を独占している。 さらに黄表紙出版の他の大手7店とともに「蔦屋」が堂々と名を連ねているほか、作者の部では喜三二が、絵師の部では重政・正演がそれぞれ最高位かそれに準ずる評価を得ている。 しかし蔦重は、ここでゆるむことなく喜三二、重政以外の新人の発掘に注力。遅れて黄表紙に大挙参入した他の版元と鎬を削るようになる。蔦重がこの頃発掘した若手絵師の志水燕十(えんじゅう)、北尾政演(後に黄表紙・洒落本にシフトし山東京伝と名乗る)、喜多川歌麿といった若手は、その後大きく羽ばたいていく。 ちなみに、この「菊寿草」の評者の中心となった大田南畝(なんぽ)は、黄表紙に続いて蔦重がビジネスの場とする「狂歌」の世界の重鎮でもあった。(つづく)
2025.05.15
「夏の参院選に向け、にわかに就職氷河期世代に脚光」といった報道がこのところ相次ぎ、実際、与野党で支援策のアピール合戦が繰り広げられている。4月25日に政府・与党が、関係閣僚会議で初会合を開き、同じ日に立憲民主も政策提言を公表した。 途に就けたのは国民民主とされる。確かに24年9月にこの世代の先行きを見通して、「最低年金保障制度」の創設に加え、官民での採用拡充を政府に提言していた。ところが同党が4月10日に提出した「若者減税法案」では、30歳未満を対象に所得税を軽減する法案だったために、逆にSNSでは「氷河期世代は後回しか」と怒りを買った。だがそうして怒りを買うくらい、この世代への支援に注目が集まっているということでもある。 改めて氷河期世代について言えば、91年ごろのバブル崩壊から97年の金融危機などがあって就職率が落ち込んだ「就職氷河期」(93~04年)に新卒を迎えた40~50代前半の世代のこと。この世代は08年のリーマン・ショックも加わり、つまりは新卒から3現在までが「失われた30年」にまるまる相当する。苦しくないはずがない。この世代の高齢化が現実味を帯びてきた以上、対策は待ったなし。そこで注目が集まっているというわけだ。 そしてこの世代は、現在70代半ばくらいの第1次ベビーブーマーの子ども世代。なので当然、人口も多く、約1700万人。有権者の6分の1を占めるため、「大票田」につながる。そこで夏の参院選を前に、この世代対策が問われている、というのが多くの報道の趣旨だ。では果たして本当にこの世代へのアピールが、国政を動かすことになるのだろうか。 極めて「今さら」な無責任ぶり 総務相が公表している世代ごとの投票コードを見ると、令和6年10月に行われた参院選挙の投票率は、10代39.43%、20代34.62%、30代45.66%、40代52.66%、50代59.16%、60代68.02%、70代以上60.42%で、全体53.85%と比べると、やはり「シルバー民主主義」の実態が垣間見える。そこで10年ごとの国政選挙での世代別投票率を見ると、平成26年12月の衆院選では世代別投票率はほぼ世代ごとで数字があまり変わらない。さらに50年ほど前の昭和47年の衆院選で見ても、高齢者ほど投票に熱心なのは同じ。ただ当時は全体の投票率が71.76%で今よりもグッと高いこと、また世代ごとの投票率の左は今よりもだいぶ拮抗していて、40~60代の投票率がいずれも80%を超えて高かったことが異なるが、この数字から見ても、今後もやはり就職氷河期世代が今後の大きな「大票田」となることは歴史が証明している。 前述のように、直近では国民民主がこの世代をターゲットに政策を打ち出したことから、与野党含めにわかにアピール合戦が始まったわけだが、もちろん支援の必要性は今に始まったわけではない。 「安倍政権時代のアベノミクス時代にも、この世代がトリクルダウンの恩恵に預かれずに、全体的な底上げの足かせになっていました。そこで安倍政権では19年に既にこの世代への集中支援策で3年間の『集中プログラム』を策定していました。そして岸田政権を経る中、賃金上昇も加わってリスキリングの必要性がなども謳われるようになりました。なので流れとしては、やっと支援の本格化の機が熟したということでしょうか」(政治部記者) かねてから課題として指摘されつつ、長年、放置されてきたこの問題。ようやくこの世代が高齢化して、大票田として見込めるようになると政治課題として本格的に顧みられるようになるというのは、「何を今さら」というこの世代の声が聞こえてくるようで、なんとも情けない話ではないか。
2025.05.15
「政治家のどら息子にもほどがある」。羽田空港ターミナルビルを運営する東証プライム上場の「日本空港ビルディング」(東京)の関係者は、こう憤っているという。ここで指摘されている「どら息子」とは、元自民党幹事長・古賀誠氏(84)の長男(52)のことだ。日本空港ビル社の特別調査委員会は、同社側から古賀氏の長男が経営するコンサルティング会社「アネスト」(東京)に対し、2006年から約10年間で約4億3000万円もの利益供与があったと認定し、空港ビル社の社長と会長が辞任する事態にまで発展した。 アネストに対し、不適切な利益供与を続けていたのは、日本空港ビル社の子会社「ビッグウイング」(東京)。ビッグウイングは2006年9月、アネストにマッサージチェア事業を委託する契約を結び、2016年12月までに約4億3000万円を支払っていた。だが、東京国税局の税務調査で、アネストにはマッサージチェア事業での業務実態がないことが判明。特別調査委員会も国税局の指摘をなぞる形で、ビッグ社からアネスト社に業務委託料名目で支払われた4億3000万円は、単なる利益供与にあたるとみなした。 特別調査委の調べに対し、日本空港ビル社の社長は「アネストの経営者が元衆院議員の息子で、長年の人間関係もある長男との関係を断ち切ることははばかれた」などと説明しているとされる。 ■「立派な社会人」 古賀誠氏は2012年に政界を引退するまで衆院議員を10期務め、運輸相なども歴任している。日本空港ビル社の特別調査委が5月9日に公表した調査結果からは、羽田空港という日本最大の空港を運営する日本空港ビル社側が、「古賀誠」という「大物政治家」の長男からの要求に従うまま、不適切な利益供与を続けていた実態が浮かぶ。 ただ、古賀氏本人は、あくまで「立派な社会人」である長男の会社の話だとして、自身は無関係を強調するのみで、各報道機関の取材にはほとんど応じていないようだ。 不適切な利益供与を求め続けた張本人の長男は、特別調査委の調べにも応じず、マスコミも完全にシャットアウト中という。政治家としてこれまで後継指名されることなく、民間企業の経営者として甘い汁を吸い続けてきた長男。銀座で豪遊する様子が週刊誌ですっぱ抜かれるなど、まさに「どら息子」にふさわしいが、「立派な社会人」と評する父親の見解にも呆れるほかない。
2025.05.15
野球評論家の佐野慈紀氏がパリーグ単独最下位に沈むロッテ・吉井監督をかつての仲間として心痛している。 ロッテは5月11日終了時点で12勝20敗の借金8で単独最下位だ。特に深刻なのが得点力不足で、総得点81(11日時点)はパリーグ6位、チーム打率2割6厘も6位だ。 佐野氏は「昔からロッテはピストル打線といわれたものですが、今シーズンは特に打線が苦しいですね。なんとがやりくりしてやってますが・・・。ちょっと機能してないですかね」と苦い顔。 問題なのは打者に攻撃姿勢が足りないことだ。 「やっぱり、バッターが受け身になっちゃってるんですよね。だから、怖さがないんですよ。1人ね、やんちゃというか勢いのあるバッターが欲しいですよね。阪神の森下選手のような若さがあってどこに投げても打ってくるような存在感のある選手が欲しい」と佐野氏は提言する。 吉井監督とは現役時代、近鉄投手陣の中核としてチームを支えた間柄。そんな吉井監督に佐野氏は「すっげー心配してます・・・なんとかチームとしてきっかけをつかんでほしいです」と応援した。
2025.05.14
YouTubeの途中に入ってくるCM YouTubeの視聴中に、唐突に入ってくるCMが怖い。 タイミングが悪すぎるからである。一体、あれはどういう仕組みで流れてくるのか分からないが、毎度毎度あまりにも唐突ゆえ、急激に切り替わる場面は呪いの如き恐ろしさがある。さらに、一つの番組中に同じ広告が何度も何度も流れてきてスキップする。たまに終わったと思ったら、もう一発くることがある。ボクサーみたいな作戦である。よく、「歴史は実はこうだった」というCMが入ることがある。歴史のイフに触れ興味津々のものが多いのだが、なぜか、ナレーションの声が異様に怖い! どうしてこんなに怖い声で解説をする必要があるのだ?そしてCMの最後には、この事実を書いた本はこちら!という広告で締めくくられ、俺はますます恐怖にあおられてスキップを押す。ちなみに、俺もYouTube『三遊亭はらしょうチャンネル』というのをやっているが、もっとCMを入れて欲しい。そもそも俺の動画が、みんなからスキップされている。
2025.05.13
家治の嫡男・家基が落命した鷹狩に同行した村垣定行だけでなく、鷹匠・内山永恭および馬方・村松歳釐の双方の人事にも、一橋治済の影がずっと見え隠れしているという。彼らが切腹どころかことごとく出世をとげていることから、家基の死は病死でも事故でもなく、鷹狩の最中に暗殺された――例えば馬もろとも崖下に突き落とされた――可能性は相当高いと見ていいだろう。 御三卿・一橋家の治済にしてみれば、家基を亡き者にして徳川将軍家の血脈を断てば、嫡男・豊千代――後の家斉——に将軍のお鉢が回ってくる。そのためにまず時期将軍候補のライバル・田安定信——後の松平定信——を白河家に養子として追いやったことはすでに述べた。 治済が排斥すべき最大の敵と見ていたのは、言うまでもなく田沼意次だった。11代将軍・家治との関係で得た権力を息子・意知にそのまま移譲したかった意次にとって、家治の嫡男・家基の死は大打撃だった。家基の死後も、意次と親しく、先進的な気性で開国派だった薩摩藩8代藩主・島津重豪(しげひで)を、その娘を豊千代の妻に娶って寝返らせたのを始め、忠誠を誓った子飼いを幕閣に押し込んで幕府内部の勢力をじわじわと拡大していく。。 意次の直接の配下だった平賀源内の「暗殺説」がささやかれる理由は、まさにここにある。意次の政治生命を絶つべく、その有力なブレーンだった源内を消した――フェイト商館長の日誌にある「江戸町奉行や幕閣らの命で毒殺された」という記述を捨て置くことは出来まい。 そして老中・意次の致命傷となる次の暗殺事件を画策し、実行の命令を下したのも恐らく治済だった。(つづく) 参考文献:秦新二、竹之下誠一著『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋
2025.05.12
母 その3 「パパにはね内緒ですよ」といくばくの金を渡してくれた母親 「アニキこれ」千円札が目の前に 高校生じゃ大金だろう いつ帰るかわからぬ息子の姿もとめ、いつも窓から見つめていたと 一歩半下がって夫の影ふまず 大正生まれの女の一生 学生運動をやっていると、困るのはゲルピン。ゲル(カネのドイツ語)がピンチ。学生運動に反対している父親だと、月々の仕送りが止められてしまう。みんなそれぞれバイト先を見つけていた。 僕の場合は、ビルの工事現場のダクト業者の下請けをやっている一人親方のところで、肉体労働をやっていた。「ハスリ」「墨だし」「コンクリートを練り」「片付け」etc.etc. ザツコウ(雑工)と呼ばれていた。 友人やシンパ(運動はやらないが趣旨には賛成の人。シンパサイザーの略)のカンパも大きかったが、たまに家に帰ると、上の歌のようなことも、時々あった。 母親は大正12年生まれ。90歳超まで生きた。
2025.05.12
『全裸犯罪』 先日、「男が全裸で万引き」というニュースを見た。衝撃的なフレーズである。万引き以前に、全裸という別の犯罪を既に犯している為、もう何がなんだか分からない。しかも全裸ゆえ、盗ったものを隠す場所もなく、万引きというより強盗と言った方がいいかもしれない。当然、防犯カメラにも写っており逮捕されたのだが、犯行が無計画すぎて相当に気がふれてないとできないだろう。 同じ全裸の犯罪でも計画的だった事例もある。昔見た海外のニュースなのだが、数名の男たちが白昼堂々、銀行強盗を成功させた。目撃者は大勢いたのだが、誰も犯人たちの顔を覚えてなかった。もうお分かり頂けただろう、強盗たちは全裸だったのである。視線は首から下に集中するし、第一そんな奴がいたら目を背ける。褒められた訳ではないが人間の心理をうまく利用した例である。 そういった意味では最近の振込み詐欺も手が込んでいる。違和感に気付いたら、まず、心 を裸にした方がよい。
2025.05.09
ところが、だ。「多分、この後は苦労する」と指摘する理由は・・・。 その1つが「35歳」という年齢だ。 「やっぱりパフォーマンスの1つ1つがしっかりしているといっても、35歳という年齢では、若い時よりも疲労の蓄積も多い。それをクリアできるのかという部分は気になります」(佐野氏) さらには「メジャーの環境」についても言及した。 「移動距離や時差もすごいですし、球場によっては乾燥していたり、湿気が多かったりとがらりと環境が変わります。日本だったら、そんなに変わりはないですが、メジャーは違いますからね」と佐野氏。 最後には「それらの課題を乗り越えれば、多くの超一流メジャーリーガーが年齢を重ねても活躍しているように、菅野投手も活躍できるのではないでしょうか」とした。シーズンを通して、菅野投手のパフォーマンスから目が離せない。
2025.05.08
ここで、イサーク・ティチングという別のオランダ人の証言が興味深い。東インド会社のメンバーで外交官でもあったティチングの著書『日本風俗図誌』は、江戸時代の習俗や政治を体系的に記録したすぐれた研究書であり、歴代将軍の事績や婚礼・葬儀の儀式について詳しく描いている。 当時は長崎・出島の商館長として高位の幕閣や大名にも知己がいたティチングは、『図誌』の中で家基の死について、「狩の途中で乗馬もろとも崖から落ちて、血を吐いたことが死因と言われている」と具体的に記している。ティチング、フェイト両者の記録物に幕府の検閲を受ける義務はない。死因をどうとでも隠蔽できる病死という表現よりも、大怪我による死の可能性のほうがずっと高い。 それが事故によるものなら、鷹狩に随行したメンバーは切腹か御家断絶が当然であろう。ところが、その後の経歴をたどると、まず鷹狩の総責任者だった西の丸若年寄・鳥居丹波守忠意(ただおき)はその後なぜか本丸若年寄に昇格している。 鷹匠の内山永恭(えいすけ)は旗本クラスに家基につきっきりだった馬方・村松歳釐(としのり)は、何と次の11代将軍・家斉にそのまま付いて、その後も14代将軍まで代々御召馬預を務めている。 そして永恭の義兄は、何と将軍家御庭番・村垣左大夫軌文。代々将軍直属の諜報員を務める御庭番の最も重要な業務は将軍のお世継ぎの警護であり、軌文の息子・定行は家基と同い年。定行が鷹狩に随行した可能性は極めて高い。 その定行は後に勘定奉行——今で言えば財務事務次官——にまで出世し、他ならぬ一橋治済の片腕として大活躍した人物なのだ。(つづく) 参考文献:秦新二、竹之下誠一著『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋
2025.05.08









