2025/01/13
大河ドラマ『べらぼう』の舞台となった1700年代後半唯一の公的な遊女町だった吉原にはあちこちに競争相手がいた。非公認だから取締りの対象だった、というのはタテマエで、高額の遊興費がかかる吉原の得意客はもっぱら高位の武士階級や大手の商人など富裕層。一般の町民や中下級の武士には手が届かない。
加えて、現在の人形町から江東区千束という不便な場所に移った吉原は、営業も夜のみだったことも客を選んだ理由の一つだった。
実は、こうして吉原が取りこぼした需要の受け皿となる場所が、江戸にはいくつもあった。無論、非公認なので幕府は適度に取り締まりはするが、完全には潰さずに黙認し、場所代を徴収していたのだ。
まず、岡場所と呼ばれた非公認の遊女場である。特に盛んだったのは深川。運河が通って舟の便がよかったため、客は舟で出入りし、船頭がしばしば遊女の手配などを行っていた。ちょうど現在の永代橋から富岡八幡宮に至るあたりで、中町、土橋、あひる(佃新地)、新地、石場、櫓下(やぐらした)、裾継(すそつぎ)という深川七場所が知られていた。
客は妓楼ではなく料理屋に遊女を呼び出し、ひとしきり飲み食いした後でその奥座敷に入る。深川の料亭がよく知られているのはその名残であろう。
現在の文京区根津神社の門前(池之端から不忍通り沿い)は、「岡場第一の遊里」根津として栄えた。徳川家の菩提寺・寛永寺の門前で栄えた遊女場・上野山下は、現在のJR上野駅構内から駅前広場近辺だった。また音羽も護国寺の門前町として遊女たちが集まり、赤坂は当時ホタルで有名だった溜池の周辺に御茶屋が並んだという。(つづく)
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