2025/01/07
政権交代のチャンスを逃した野党
総選挙の結果は、自民党が単独過半数を42も割り込む191議席、自公合わせても215議席でまだ過半数に18も届かないという歴史的惨敗に終わった。来年に結党70周年を迎える自民党が、その長い歴史の中で政権を手放したことは2度あって、1993〜94年の細川・羽田両政権の10ヵ月間と2009〜12年の鳩山・菅直人・野田の旧民主党政権の3年3ヵ月間だけ。93年の時は、衆院定数511、過半数256に対して自民は33足りない223議席にとどまった。09年の時は、定数480、過半数241に対して自民は122も足りない119議席のまさに大惨敗に陥った。それぞれ定数が異なるので、定数に対する自民の獲得議席の占有率で比較すると、09年の24・8%、93年の43・6%に対して今回は41・1%で、前者には遥かに及ばないが、後者を下回っている。つまり、今回もし野党が予め結束を準備していれば政権交代が起きてもおかしくなかったのである。
逆に言うと、立憲民主党の野田佳彦代表は、選挙戦を通じて口先では盛んに「政権交代」を訴えたものの、単独過半数を獲得できるだけの候補者を用意できている訳ではなく、そうかといって他の野党と協力して候補者の一本化を図るのでもなく、どちらでもない中途半端に流れ、野党第一党としての責任を果たさなかった。仮に今回、立憲が右に翼を広げて維新、国民民主と「中道右派連合」を組んで臨んでいれば、小選挙区の得票率で自公合計の39・1%に対し立維国の合計は44・5%で、これにさらに候補者一本化の効果が加わるので、圧倒的な政権交代が起きていただろう。あるいは、立憲が左に手を伸ばして共産、れいわ、社民と「中道左派連合」を成した場合でも、立共れ社合計は37・1%で、ここでも一本化効果が強く働くので、やはり政権交代が起きておかしくなかった。
「政権交代ある政治風土」の再考
多くの国民が石破茂首相の指導力のなさ、言動のコロコロ・ヨタヨタぶりを指摘しており、私も、この人はもう少し骨があるというか、それなりの覚悟と考え深さを持ってこの機会に挑んでいるものと思っていたので、余りのことに唖然としている一人ではあるけれども、それと同時に、野田が口先で政権交代を唱えるばかりで実際にはそのための準備を何もしてこなかった無責任さにも呆れ返っているのである。イタリア政治研究家の後房雄名古屋大学名誉教授は、日本とほぼ同時期に同様の選挙制度を導入したイタリアでは、保守・リベラル両陣営が共に徹底的な選挙協力・政党連合を追求することで2大勢力による「政権交代ある政治風土」を耕してきた歴史があることを紹介しつつ、次のように言い切っている。「小選挙区制に相応しい選挙戦略は何かといえば、核心は2大勢力が政党連合によってすべての小選挙区で候補者を統一することである。……日本やイタリアのように、中選挙区制や完全比例代表制の時代が長く多党制が定着していた国が小選挙区制に転換した場合においては、ただちに2大政党制が確立することは困難であり、また不自然でもある。しかし、事前の政党連合によって、首相候補とマニフェストを統一したうえで全小選挙区で候補者を統一できれば、機能的には2大政党制と同様の役割を果たすことができ、有権者の政権選択を可能にすることができる。〔この〕イタリアの政党の戦略的行動様式は、日本の政党、特に野党に最も欠けて
いるものとして注目に値する」(『政権交代への軌跡』、花伝社、2009年刊)。
こういう国際的な連立政治についての常識が日本では全く通用しないということが残念極まりない。さらに奇妙なのは、その協力を組もうという場合に必ず出てくるのが「基本政策で一致しなければ一緒にやれない」というセリフである。政党同士が理念や基本政策を異にするのは当たり前で、異にしないのであれば1つの党になればいい。このように全てで一致できない限り一緒にやれないと言って協力関係をブチ壊すことを辞さないという頑な態度を、昔の左翼用語では「最大限綱領主義」と呼んでバカにした。選挙協力を組もうという場合は、イタリアでは5年、日本では4年の下院任期の間にどうしてもこれとこれだけは実現したいという「最小限綱領」で合意して、「だからこの1期、我々に政権を任せてくれ」と課題も期間も限定して有権者に訴えかけるのでなければならない。まあ、この国の野党業界には国際標準から見て非常識ばかりが罷り通っているのである。
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