2025/01/02
平安前期、地方では治安の乱れから大規模な群盗が頻繁に発生した。889(寛平元)年の物部氏永の乱がその代表例で、危機感を覚えた朝廷はその翌890(寛平2)年、天皇の親衛隊組織として全国から弓術・馬術に優れた者たちを集め、「滝口武士」と名付けた。
これが武士という名の階級の最初の形とされている。もっとも、弓馬や刀など武器を扱う術は京で一から教えられたわけではなく、もともと身に付けていた者たちだ。彼らの出身母体はどこなのだろうか?
当時、皇族や上位貴族(王臣家)は国の律令制度を無視して地方の利権を漁っていた。彼らは中下位の貴族を吸収し、各地方で郡司の座にいた富裕豪族と血縁関係を結び、武装して「家」的な集団を形成していった。
こうして地方豪族の武力と、都の貴族の血筋が結合した武装集団が単なる荒くれではない、独特のモラルと知性を併せ持った「武士」のルーツと言っていいだろう。
皇族から降りて常陸国(現茨城県)で一勢力となった桓武平氏の祖・平高望(たかもち)がその典型。将門を倒した貞盛、刀伊と戦った為賢はその系譜にある。
この集団から抜擢され、京に住む皇族・貴族の警護役としてフィードバックされたのが滝口武士である。将門・純友の乱もその‶選考″の場となった
京の都の雅な世界を描いた『光る君へ』。武士の台頭を暗示する「嵐が来る」というラストのセリフが話題となったが、京から一歩外に出れば、実はずっと前から「嵐」に向けての地殻変動が始まっていたのだ。刀伊撃退はその一端を垣間見せた大事件だった。
✳︎主な参考文献
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』ちくま新書
〃 『平安王朝と源平武士』 〃
TIMES
連載•小説








