2024/11/23
令和の大発見か?最後の「ひまわり」が日本にあった!?
〝汚れた絹のハンカチ(この言葉を知っている読者はもういないかもしれない。光陰矢の如し。筆者注)〟こと藤山愛一郎は、この美術品を親分だった岸の計らいで個人所有してしばらくはそのままにしていた。近衛を管理していたのは、岸の指示で神奈川県大磯町の大川画廊なるところで為されていた。同画廊の主人が岸の出身地長州で
同郷の誼からここで管理保管しろとなったという。ところが、藤山はそれから10年近く経ってこの絵画を金に替える。その頃、藤山は叙勲を受けたりしているが、莫大な資産は自民党のためにそのほとんどが蕩尽されていた。藤山コンツェルンは、自民党のために潰えてしまう。藤山は、1970年、自民党のために最後の資金工作に走る。その最後の手段となったのが、他ならぬ「もうひとつのひまわり」だった。
その苦心の工作を物語るエビデンスがここにある。
1970年(昭和45年)の年賀状二枚。宛先は、住所は異なるが同一人物である。これはその人物が都内と神奈川県藤沢市の2カ所に住居を持っていたということである。一方、差出人はいずれも同じである。つまり、同一の宛先人、同一の差出人の同年の年賀状二枚ということである。宛先人は故人ではあるが、市井の人なので名前は避ける。差出人は、衆議院議員藤山愛一郎内となっている。つまり藤山の細君ということだ。ちなみに藤山の細君は久子(ひさこ)というが、この人は戦前の大蔵大臣、日銀総裁を務めた結城豊太郎が父親である。ただ、書かれた字を見ると、達筆でしかも力強い。とてもいわゆる女文字には見えない。このからくりはこの後すぐにわかる。
その年賀状には年初の挨拶とともに非常に興味深い文言が綴られている。
一枚目 『大磯の件ゴッホのひまわりは日本の浮世絵四点と交換した絵画のうちのひとつで未発表のものです。何卒よろしくお願い致します』
二枚目 『大磯の件、一日も早く整理致したく○○様(※宛先人の名前)にしか心当たりがございません。何卒よろしくお願い致します』
これは、考えるまでもなく、ゴッホの「もうひとつのひまわり」を担保にした融通のことを指している。差出人はあくまで藤山の細君になっているが、これは内容が内容だけにあえてそのような便宜を図ったのであろう。このような年賀状ともなるとこれが藤山本人となればやはり体裁を考えたのであろう。
二枚の同じ年に出された年賀状とともにもう一枚の書面がある。これがいわゆるこのゴッホを取り巻く一連の挿話のカウンターとなる。
その書面の書き手は、はっきり藤山愛一郎と綴られている。内の文字はない。小野書面には、次のように記されている。いうまでもないことだが、この書面の筆跡は先の二枚の年賀状と同じである。一目瞭然なのである。
『○○殿
金七○億円 也
但し、ファン・ゴッホ作「向日葵』五○号 代金として
昭和四六年一○月七日 藤山愛一郎』
藤山が所有していたゴッホの「ひまわり」は、この書面の宛先人が70億円で購入したのだ!藤山は自民党に捧げる最後の資金をかくして作ったのである。それにしても、1970年当時の70億円というのは今でいうならばいくらになろうか。年賀状での申し出から購入まで、二年近くかかっている。藤山は常に金の算段に奔走していたのである。中原中也じゃないが、汚れちまった〝絹のハンカチ〟。政治の恐ろしさをまざまざと見せつけられる思いだ。
ゴッホによる知られざる「もうひとつのひまわり」は、自民党という濁流の中でさんざん弄ばれたわけだ。そこには芸術もなにもない。あるのは欲望だけである。
藤山は結局買い戻しなどしていない。何もかも封印されてしまったのだ。藤山はこの6年後政界を退いた。
オランダからはるばる日本にやってきた「ひまわり」、ただ、美術史の片隅にも出てこない「ひまわり」。
この先人間の欲望の渦の中に巻き込まれたたくはない、もうたくさんだ、と倉庫の片隅でうずくまっているように思えてならない。
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