歌麿との共作多数!狂歌の詠み手だった下野の豪商
連載•小説
2025/10/02
蔦重が重いペナルティを課された1791(寛政3)年を含む約1年の間、歌麿は江戸ではなく下野
国(現栃木県)にいた、という説がある。
これには理由がある。前に述べた歌麿の出世作『画本虫撰』の中で、歌麿が挿絵を添えた狂歌
の詠み手に「通用亭徳成」という名が見える。これは下野国(現栃木県)足利の豪商「釜喜」の
四代目善野喜兵衛の狂名で、歌麿が挿絵を添えた狂歌の詠み手の中で最も多い狂名だという。
喜兵衛は日光例幣使街道(日光街道とは別。中山道から分岐し足利・佐野経由で日光へ向かう)
や渡良瀬川の水運を活用し、質屋と醤油問屋を中心に財を成した豪商。下町(現栃木市室町)に
居を構え、上町(現栃木市方町)にも店舗を持ち、飛脚、書店、薬、お茶、金融業など多彩な
事業を営んでいた。
歌麿よりもさらに10歳程度年下だったという善兵衛は同時に、大田南畝らの狂歌グループに属
していた。当然、歌麿とも親交があったと思われる。(つづく)
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