天明の大飢饉でも餓死者を出さなかった白河藩・松平定信
連載•小説
2025/07/28
さて、話を蔦屋重三郎と江戸の市中に戻そう。田沼意次・意知と直に接していた大河『べらぼ
う』の劇中とは違って、ここまで触れてきた幕府内の政争と直接関わることは恐らくなかった
蔦重だが、立て続けに起こった天災と1787年(天明7)年の意次失脚と松平定信の老中抜擢、そ
して1788(天明8)年に老中首座(老中の筆頭)の座に就いたことが、その出版ビジネスにダイ
レクトに響くことになる。
定信が名君であったことは確かである。天明の大飢饉に襲われた際、全国で数十万人規模、東
北の他藩でも万単位の餓死者を出したのに、定信が辣腕を振るった白河藩では何と1人の餓死者
も出さなかったという。幕府内部に待望論が生まれてもおかしくはなかった。
国内では財政難に凶作・飢饉に大災害、国外ではロシアの南下…という内憂外患が田沼時代か
ら継続する中、定信が行ったのは、簡単に言えば財政緊縮策と農村の復興策、倹約令、飢饉へ
の備えである囲い米、窮乏した武士の救済策である棄捐令、さらに朱子学以外の儒学の講義を
禁じるなどの思想統制、乱れた風俗の矯正だった。
そして蔦重ら版元に大きく影響したのは、広い意味での文化への弾圧、統制の強化だった。特
に出版統制として将軍・幕府や幕政への批判、風俗を乱すとみなされた書物がターゲットとな
ったのだ。(つづく)
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