2025/05/15
さて、ここで再び耕書堂を立ち上げた蔦屋重三郎――蔦重の出版ビジネスに話を戻そう。
1781(安永10)年、『繪草紙評判記(えぞうしひょうばんき)』、通称「菊寿草」という冊子が出た。これは草双紙の評判記、つまり批評と格付けである。この年に出された黄表紙全部を7つのジャンルに分け、個々の作品について「極上上吉」「上上吉」などとランク付けしてある。
蔦重が一気に黄表紙を含む15種類もの出版物を出したのはその前年の1780(安永9)年だが、翌81年にも黄表紙7部を出版している。そのうち朋誠堂喜三二著・北尾重政画?の『栄花程五十年/蕎麦価50銭/見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』、同じく喜三二著、北尾重政画『息子妙案/一流万金談』と『鐘入七人化粧/漉返(すきかえす)柳黒髪』の3作品はいずれもヒット。『菊寿草』の3つのジャンルの第1位を独占している。
さらに黄表紙出版の他の大手7店とともに「蔦屋」が堂々と名を連ねているほか、作者の部では喜三二が、絵師の部では重政・正演がそれぞれ最高位かそれに準ずる評価を得ている。
しかし蔦重は、ここでゆるむことなく喜三二、重政以外の新人の発掘に注力。遅れて黄表紙に大挙参入した他の版元と鎬を削るようになる。蔦重がこの頃発掘した若手絵師の志水燕十(えんじゅう)、北尾政演(後に黄表紙・洒落本にシフトし山東京伝と名乗る)、喜多川歌麿といった若手は、その後大きく羽ばたいていく。
ちなみに、この「菊寿草」の評者の中心となった大田南畝(なんぽ)は、黄表紙に続いて蔦重がビジネスの場とする「狂歌」の世界の重鎮でもあった。(つづく)
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