政治•経済 新ローマ教皇に初の“無印”米国人枢機卿が誕生した
新ローマ教皇に初の“無印”米国人枢機卿が誕生した
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2025/05/13

アメリカ出身新教皇 レオ14世 大統領とはまったく違うバランス感覚を持っている。さすがメルティングポッドのアメリカだな

 (写真 新教皇レオ14世 Wikipediaより)

 5月8日午後、バチカン市のシスティ―ナ礼拝堂で開かれた新教皇を選出するコンクラーベで、4回目の投票後、米国シカゴ生まれの司教省長官でもあるロバート・フランシス・プレボスト枢機卿(69)が第267代のローマ教皇に選出された。米国人のローマ教皇選出は初めてで、教皇名はレオ14世だ。ちなみに、ベネディクト16世は4回目、前教皇フランシスは5回目の投票で選ばれている。教皇とはイエス・キリストの弟子12人の筆頭だったペテロの後継者のことだ。新教皇は教会から出て積極的な社会活動を推進したレオ13世の後継者として、レオ14世を名乗ったことで、明確な教皇像をその名が描いていることを示した。世界最大のキリスト教派ローマ・カトリック教会は、聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して教会の信頼を落としたため、特にプロテスタント中心の欧米社会では教会離れが進んでいる。また、聖職者の独身制の見直し、女性聖職者問題からLGBT(性的少数者)への対応など、世界の教会は多くの課題を抱えている。新教皇のかじ取りはなかなか難しい

 コンクラーベに参加する枢機卿には、ハードな体力的負荷がかかる。例えば、75歳以上の高齢者がシスティーナ礼拝堂に隔離状況になり、長時間にわたって瞑想と投票を繰り返す。テレビや新聞、携帯電話、ノートパソコンなどの持ち込みは厳禁され、外部と接触できないため、まさにコンクラーベ(鍵を掛ける)状況下に置かれる。前回のコンクラーベでは、ミサ中、1人のコンクラーベ参加枢機卿が失神したほどだ。現在のコンクラーベに機能が整うまで長い歴史を刻んだ。初期キリスト教時代では、教皇はローマの聖職者や信徒、時にはローマ帝国の承認によって選ばれたが、時代が進むにつれ、東ローマ皇帝や神聖ローマ皇帝など世俗勢力が教皇選出に口出しするようになり政治的混乱を招いた。それが11世紀に入ると教皇ニコラウス2世が発布した「勅令」により、教皇選出の権限がローマの枢機卿団に限定され、これがコンクラーベ制度の起源になった。

 だが、ルネサンス時代 (15~16世紀)に入ると、教皇職が政治的にも経済的にも強大化し、教皇選挙が政治化した。選挙活動において贈収賄が横行し、一部の教皇は強い世俗的な支持を得て選ばれた。その結果トリエント公会議(1545~63年)で、教皇選挙をより神中心で公正なものにする改革が求められた。19世紀初頭、再び権力者であるナポレオンが教皇選挙に干渉したことで、政治からの独立が課題となったが、20世紀に入り、現在のコンクラーベが確立された。カトリックとプロテスタントは基本的に相入れない。カトリックではローマ教皇を教会のトップであり、特別な存在だが、プロテスタントは「人間は神以外みな同じ」だからローマ教皇を政治的に重要とは思っても特別な存在として扱うことはない。イエスの母マリアについても、同じ理由でプロテスタントでは「主イエスを産んだとはいえ、一人の人間でしかない」と捉えるに対し、カトリックでは「聖母マリア」という特別な存在としてあがめる。

 レオ14世は、前任のフランシスコ教皇からバチカンに招聘されるまで、23年余り南米ペルーの宣教師として歩んできた。貧困に悩む南米の教会の実情に精通しているといわれる。米国人ながら軸足は南米。神のバランス感覚は絶妙だ。

 

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