社会•事件 短期集中連載 現役国会議員秘書 世良 直のヒストリカルスクープ!黒人侍「弥助」は実在したのか その2  ゲーム「アサシンクリードシャドウズ」による杜撰な歴史考証
短期集中連載 現役国会議員秘書 世良 直のヒストリカルスクープ!黒人侍「弥助」は実在したのか その2  ゲーム「アサシンクリードシャドウズ」による杜撰な歴史考証
社会•事件

2025/04/03

 弥助に関する情報は多くない。現存する歴史的資料としては信長公記、家忠日記、LuisFroisによる1581年イエズス会日本年報、Lorenzo Mesiaによる1581年イエズス会日本年報、Luis Froisによる1582年イエズス会日本年報だけしか残されていない。それぞれの記載内容を確認する。

 信長公記(太田牛一写)「二月廿三日きりしたん国より黒坊主参り候年之齢廿六七と見えたり、惣之身の黒き事牛之如彼男健スクやかに器量也爾シカも強力十之人に勝スグレたり」→キリストの国から黒い男が来た。歳は26歳か27歳に見える。がっちりした体形で牛のようだった。健康そうで体格がよく、しかも力持ちであった。信長公記(尊経閣本)「然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候」→弥助と名付けられて、給料が払われていて、装飾をされた短刀と家を与えられ、時々道具持ちなどを仰せつかていた。

 Luis Froisによる1581年イエズス会日本年報→復活祭に続く月曜日、信長は都にいたが、多数の人々がカザの前に集まって黒奴を見ようとしたため、すごい騒ぎになって投石の為にけが人が出て、死にそうになった者もいた。多くの人が門を警備していたにもかかわらず破壊されるのを防ぐのは困難だった。もし金儲けの為に黒奴を見世物にしたら短期間で8千から1万クルザードを稼ぐのは容易だろう。信長も黒奴をみたいというのでバードレオルガンティーノが連れて行った。大変な騒ぎの中、黒奴の肌の色が自然であって人工ではないことを信用せず、帯から上の着物を脱がせた。信長は子息を呼んだがみんなとても喜んだ。大阪の司令官である信長の甥もこれを見て非常に喜び銭一万を与えた。

 Lorenzo Mesiaによる1581年イエズス会日本年報→黒人を一人同伴していたが見たことがなかったので都では多くの人が見に来た。信長も見たことがなかったので墨を塗ったものではないことを容易に信じなかった。何度も見て少し日本語を話せたのでたっぷり会話した。力持ちで芸が少しできたので信長は喜び護衛をつけて市内を巡らせた。彼を殿にするようだという声もあった。家忠日記「十九日、丁未、雨降、上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云」→19日の雨の降る昼下がりに上様のお付の者がやってきた。連れてきた黒い男は身長188cmで名前は弥助という。

 Luis Froisによる1582年イエズス会日本年報→「ビジタドールが信長に贈った黒奴が、信長の死後世子の邸に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した。家臣に弥助をどう処分するかを聞かれた光秀は、『黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず』として、南蛮寺と命じた」以上が弥助に関する資料のすべてである。上記にないものはすべて憶測と言って良いと考える。

TIMES

社会•事件